05年12月17日(土)
今朝、今期最悪の寒気団が南下する。気象上、日本では『−36度』の寒気団に襲われることが大雪降雪の目安らしい。今回は『−42度』の寒気団が襲来する。ここ数日の荒れ模様に実業も滞る。明日にかけては、さらにひどくなるという。
5:30、甘木発。ANA福岡7:10発羽田行き。
JC会館は千代田区、『隼町』にあるという。15年ほど前、叔父が桜田門、警視庁に勤めていた頃、叔父の社宅が隼町にあった。当時、在京の学生で金欠・空腹だった私はかなり頻繁にここを訪れ厄介になった。『ああ、あの辺りね』と思っていたが、坂が多く、同じ町内でも見通しの利かないビル街の裏と表では見える風景も異なる、まるで鬱そうたる森の中だ。タクシーの向かうままに降りたビルは、日当たりの悪そうな、あらかじめ思っていたより恐ろしく殺風景でちっぽけな5階(?)建のビル。10:00着。よもや、青年会議所会員として、死んだ叔父との懐かしい思い出の地に、今頃返ってくるとは考えもしなかった。委員会の会場はその『503会議室』。委員会開催予定の13:00まで、まだいくらか時間がある。
一階は広めのホワイエがあり、10人がけくらいのテーブルが2つ。壁に向かって座るスタイルの5人ほど座れる作業机が一列、電源が各所から取れるような造りはノートパソコン時代に対応した造りといえる。その壁には『ローカルマニフェスト型公開討論会』や『ナチュラル・ステップ』など、05年の活動についての要約が一面に掲げてある。喫煙席としてか、楽に10人は座れそうなソファーのフロアが少し離れてある。コピー機、飲み物の自販機が角にある。
腹が減った。今日は起床してからまだ咳止めシロップ以外何も摂ってない。ここの管理人さんに聞くと、美味いインドカレー屋が近くにあるらしい、が『土曜の朝でしょ、開店しているかは分からない』という。この辺はビジネス街・官邸街なのだ。浜松町からのタクシー代が片道1460円の近距離に、途中、首相官邸や衆・参議員会館、国会図書館、最高裁、物々しい警備のアメリカ大使館、そして国会議事堂が、まくし立てるよう林立している。『随分、金食い虫の多いまちですよ』とは運転手の談。
『コンビにならありますよ』。狭い路地に少し迷って5分ほど、全農連会館の道向かいに『ampm』を見つける。私以外には店内に、これまで見てきたコンビニ店員の中でも最も無愛想な女性店員が一人。具だくさんのお握りとハンバーガー、占めて525円分を渡される。
委員会開催の3時間も前に、早めに行ったのには理由がある。今回、所用で委員会を途中退席しなくてはならない為もあるが、事前スタッフ会議を横で聞く機会を得たいからだ。
以前、入会したての頃、10年くらい前か?北九州JCのOBで、名前は忘れてしまったけれど地区長を務めたことのある先輩が講師としてLOMの例会に招かれたことがあった。『出向を目指しなさい』という論旨。彼がいわゆる起業家として社会にスタートしたてのころで、『日本JCに出向し、妻にかなりたしなめられた』という話の中の後で、『金はなくても日本には行ける、懇親会は一次会だけにしろ、割り勘負けするな。たらふく酔ったら、以降は誘われても断って、カプセルホテルでさっさと寝ろ。全国から参集する委員に配慮して委員会の開催は午後からのことが多い、だから当日午前に正副委員長、幹事のスタッフ会議がある。福岡からなら午前中に委員会会場に着ける。時間をつくって、それを盗み聞け。不味くて高い東京の酒と肴に金をつかうな、金はつかわず頭を使え。』。東京の女もやはり不味くて高いのかという話は忘れてしまったが、言っていることは間違ってなさそうだった。いずれにしろ、私に金はないんだから、まずは、彼のやり方を真似てみるしかない。
11:00、委員会会場に三人の人影、名刺交換する。大阪JCの会計幹事、東京JCの総括幹事、そして穂の国JC(愛知ブロック 旧豊川JC)の副委員長だった(20名ほどで構成される小委員会を副委員長が取り仕切る)。3人で行なっている会場準備を手伝う旨伝えたが、『準備はわたし達で充分ですから、先ずは配布資料を見てください』と124ページの資料・他を渡される。
委員長、副委員長3名、総括、会計が揃った時点でスタッフ会議が、昼食を交えて始まる。委員長の配慮で、私も仕出しの弁当をご馳走になった。各位の視野に入らない角度を選び、声が聞こえる程度に少し離れて、頂いた弁当のふたを開ける。
スタッフは一人を除いて、私より一つ二つ若い。協議内容は、皆の声が低いこともあって聞き取りにくいが、現時点では多くの点で委員長の意見がかなりのウェイトを占めているように感じる。今後、小委員会の活動が活性化してくれば、それも変わるのだろう。『WE BELIEVE』記載の経歴に従えば、委員長はここ近年LOMにおいても『ローカルマニフェスト』に居場所を見つけてある方のようだ。
13:10 次年度の委員会が始まる。私は今回が初めての参加になるが、次年度委員会自体は今日が2回目。
当『国民主権確立特別委員会』は小委員会3つで構成。私の配属する小委員会の長(3人いる副委員長の一人)がスタッフ中唯一私より年長者となる、霧島JC(鹿児島ブロック 旧国分JC)の本年度の直前理事長、生業は『黒酢』などを作る醸造場の専務。名刺には『文政の味』とあるからざっと200年の老舗となる。この小委員会は職務分掌に従うと『サマコン』、『ローカルマニフェストの普及推進』担当、とある。総勢20名のこの小委員会に九州地区よりの出向が私を含めて9名。ブロックで云えば鹿児島ブロックから5名(霧島JC4名、鹿児島JC1名)、熊本ブロックから1名(熊本JC1名 名簿の屋号を見ると同業の瓦屋らしい 今回は会えなかった)、大分ブロックから2名(中津JC2名)、福岡ブロックから1名。で、委員会総勢65名のうち、九州よりの出向はこの9名のみ、つまり福岡ブロックからは現時点では私だけみたいで、近隣LOMを名簿に捜しても中国・四国地区からは一人もいない。『ふーん、そんなもんなのか』。
直近である年初の京都会議における委員会事業の企画の簡単な説明がある。パネルディスカッションを企画している。過去に公開討論会を開催した3LOMの関係者をパネラーとする。市町村合併にともなう首長選挙での討論会に関してを霧島JC(国分JCは市町村合併にともない名称を『霧島JC』へと変更している)の直前理事長が、全国でも極早い時期に開催された政策主体の討論会に関してを横須賀JC直前理事長が、初めてたずさわった討論会を通してLOM会員のまちづくり意識を高揚させたという立場から湯沢JCより出向の秋田のブロ長が、壇上に立つらしい(役職名は06年度時点)。秋田のブロ長は今年、名古屋でのサマコンで壇上に上がり、湯沢JCの公開討論会の取り組みについて述べられた女性理事長だと思う。『WE BELIEVE』掲載の経歴には、どこぞの体育大卒とあったはずだから、案外武闘派の女傑かも知れない。
しかし、最も目を引いたのは、このパネルディスカッションのコーディネーターが当委員会の委員を予定していることだ(私と同じ小委員会に配属 神奈川ブロック 大和JC 本年度LOM理事 池田健三郎さん 今回は会えなかった)。確かに白羽の矢の立つ彼は政策提言・評価を生業とする専門家ではあるそうだけれど、要は今後の討論会に関しては、そのコーディネーターの育成をも視野に入れた活動を当委員会は目論んでいる。つまり他LOMにおいては、ローカルマニフェスト型公開討論会の開催自体が『目的』であった時期はすでに終わっている、わけだ。東京JCは今年だけで40回以上の公開討論会を開催しているというし、次元が違う。他に東京都町田市市議会議員2名、神奈川県藤沢市市議会議員1名が委員として他の小委員会に配属している。『選挙とは直接関わらない』ローカルマニフェストの作成・推進・評価についても委員会の活動射程圏内。ちなみに前橋JCは今年、LOMのマニフェストを公開例会で一般参加者に発表し、冊子にまとめて発刊しており、これは先ほどの委員会資料に併せて先ほど配布された。
『国民主権確立』と謳っている委員会の名前にあるように、討論会の事業としての開催の正否は問題ではなく、JAYCEEまで含めた市民の『主権者』としての意識の喚起にこそ当委員会活動の本懐がある、とは委員長の弁。これは、この翌日、JALシーホークでの次年度出向者向けフォーラムで池田次年度会頭の口から聞くことになる、『現代社会に対し、JAYCEEは責任意識を覚醒せよ』という弁とも相通じる。
イベンターとしてのJCを唾棄していたはずの自分が、興奮の中、あるいは事業の開催にのみ心を奪われ、本論を忘れていたのではないか、と猛省する。15:30、既に時間が迫り、私は委員会を中座しなくてはならなくなったが、この点を振り返っただけでも価値のある東京行になったと思った。予定調和ではない、『踏み込んで(池田会頭談)』初めて出来るJAYCEEのまちづくり活動に関しては、甘木朝倉にいただけでは、私は自分以外を非難することに終始し、内省するまではたどり着けなかったかもしれない、と思ったからだ。
事前に予約したANA羽田17:30発の便は各所の荒天の影響で機材繰りが出来ず欠航となった。初めてのJC会館行きで、道路事情も移動にかかる時間も分からず、委員会を早めに中座したことが功を奏して、予定より1便早いANA17:05発の便の搭乗に間に合うようだ。
東京は風もなく、雲一つない青空の穏やかな小春日和だったが、これから帰るべき福岡の地には、冬の嵐が待っている。
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