06年1月21日(土)
朝6時起床。現場作業員の体内時計は祇園の酒でも狂わないのが哀しい。風呂に入りヒゲを剃り、それでも7時。テレビは、やはりライブドア、これに米国産牛肉の禁輸部位混入騒動が新しく加わっている。
7時30分の会社の始業に併せて、従業員に電話をする。甘木が雨でないことは携帯でも確認できるが、現場は常に変化する。意味がある京都会議にしなくては誰のためにもならない。『私は祇園に金を落としに来たわけではないのだぞ』。
すぐに朝食。とにかくたくさん果物を食べるのが私の朝食バイキング(酒を飲んだ翌朝は食欲もないがアルコールの分解には糖は必要と聞いたような)。川島小委員長が委員と二人、食事をしている。本日担当小委員長の川島さんは『スタートアップ・セミナー』に相応しいプレゼンを求められている。
わたし達の小委員会の集合は9時でよかったが、川島小委員長たちを『見てしまった』こともあって(スタッフの多くは打ち合わせを密にするため、LOMと別働でホテルに宿泊している)早出することにした。タクシーで2160円。会場着は8時20分。
10時30分から隣室ANNEX1で『理事長セミナー』が開催される、リハは10時までで終える予定。結果から言うと私が現地入りした時点で、担当小委員会が準備を終えており、特にすることは無くなってしまっていた。委員長や川島小委員長の挨拶の練習や、プロジェクターに映し出されるパワーポイントの映像の具合を眺めるうちに、私の小委員会(伊達小委員会という)が集合、持ち場を確認、一息入れる。10時になった。
隣室ANNEX1で理事長セミナーが開催される。第1部では真の自立国家創造会議が『真の自立国家創造セミナー』を45分、第2部では憲法問題委員会が『検証「日本のあるべき憲法とは」』を45分。開会の挨拶での発表では900名の入場らしい。
藤島さんの領土・領海問題委員会も属するわたし達の『国家統治システム創造グループ』は、自治体運営・国家運営に提言し続けるJAYCEEの巣窟、実働部隊といえる。地方分権、市民意識高揚、外交、安全保障、福祉、少子化問題。これらの中核官房役が『真の自立国家創造会議』と私は勝手に捉えている。各々の会員が独自・独善な目的を持って出向している日本JCの委員会にあって、こうした官房役の会員の尽力を忘れてはいけない。そもそもLOM中核で本年一年、その力量を試されるべき理事長の立場もこれに当たるはずだ。理事長セミナーとして先ずこれを当てた理由も察せられる。一つひとつの問題をとっても、簡単に解決できる問題ではない。軍曹には軍曹の、将校には将校の戦いがあるのだ。
午後4時からわたし達の委員会のセミナーが隣室で開催されることもあり、この中で私達の委員長が時間を頂き、挨拶と事業案内をやった。
第2部は日本の魂(こころ)創造グループ・憲法問題委員会主管のセミナー。
これは素晴らしい内容だった。
私の思想と重なるかどうか、とか言うレベルの話ではない。『私達が憲法を論じている』という事実の意味を伝えたいという、担当委員会の姿に感銘を受けたからだ。2005年度の憲法問題委員長もパネラーとして壇上に上がる。進行の中で、各種団体の起草した憲法草案(これは最新版『JC』などを読んでもらいたい)との違いも顕かになった。
閉会の挨拶、締めに委員長が挨拶した、『時代の転換点において、JAYCEEが積極的に関わることが出来るのであれば、それは本望ではないですか。』。猛者がここにもいる。『JCが社会でマイノリティーなのは知っている。だったら先ずは、ラウド・マイノリティーで行くしかないだろ。』、私には彼がこう言っているように聞こえる。出向して間もない今だから新鮮に見えるだけなのだろうか?全ての委員会が火中の栗を敢えて拾おうと試みているように見えるのは、私が未だ冷静ではないからだろうか?私達の委員会がそうであるように、確かに案件を越年継続・追求する委員会は日本JCに多い。組織の大小を問わず、諸々の事業を単なる消化事業であることでよしとするのかどうか、その要件は何なのだろう。
閉会の挨拶も終わっているからセミナーは事実上、もう終わっている、会場からの退席が始まる。しかし場内は暗いまま、パワーポイントで映像が流れている。シンプルな画面構成のスクリーンに映し出される命題に、委員会のメッセージを見出した会員のみが着座したまま、退席者でざわついた場内に残っている。
最後の命題は『私達が憲法を論じることで、初めて、憲法が私達の財産になるのです』。
ここで場内が明るくなった。残った会員は、決して少なくはなかった。
昼、国民主権確立特別委員会は、理事長セミナーが開催されたANNEX1の隣、ANNEX2で弁当を食べる。ここで16時から私達の委員会がセミナーを行うのだ。私は場内整理と質疑応答の際のマイク運び、だ。リハと場内確認を何度も行った。
しかし、待機時間4時間は長い。昼寝する委員もいる。
この時間を利用して、総会の映像がANNEX1・2ともに、スクリーンに映されている。映像、ひな壇中央に現会頭、向かって右に高竹直前会頭、その右隣に川越直前棟梁、現会頭の左後ろに成松地区長。決算と予算の承認がなされている。会員減少に歯止めがかかりつつあるという情報は興味深かった。
私達の委員会事業の受付が始まる、16:00。
入場数は最終集計で556名とのこと。予想は入場250名。450席ほどしか用意していなかったので立ち見が出た。急遽増席、この作業はわたし達だ。
3部構成で進行。1部が総論、ここで委員長と担当小委員長が登壇する。前述のとおり、公開討論会の開催に加え、討論会におけるコーディネータの自前での養成や、選挙のない時期におけるローカルマニフェスト活動についての取り組みを提言した。
2部が前述の3LOM理事長経験者の公開討論報告会。コーディネータは池田さん。
ここでは質疑応答があり、明らかに実現不可能ではないかと思われるローカルマニフェストを提示してきた立候補予定者との関わり方や、ローカルマニフェストを作成しない立候補予定者の取り扱いについて、などのやり取りが印象に残った。
日本JCは次ぎのステップに移行しようとしているけれど、その段階にまで達していないLOMも少なからずあるように感じた。また、討論会の開催を達成できたことの意味を改めて問い直しているLOMもあるようだ。
3部は池田講師のコーディネータ養成講座。これは時間も短かったし、実際、これを受講して『さあ、俺もこれからコーディネータだ』とは思えない。しかし、コーディネータが他所からの借り物でなく、地元の責任世代でやるべきなのだという趣旨は伝わったのではないか。これは越年事業になるのかもしれない。この委員会事業は地域改革と自己改革の事業となりつつある。
予想をはるかに超える参加者に体験していただいたこと、新しい取り組みを分かち合いたいという姿勢を伝えることが出来たこと、は言わずもがなの成功であり、事業終了後まで熱心な意見交換がなされていたことは、独自の経験を既に積んだが故に資産を多数有してあるLOMが全国各地に多いことの現れであり、設営委員会・参加者ともに勇気づけられる時間になった。反省を踏まえ、新しく形にしなくてはいけない。
土曜昼あたりから会議場を中心とする周回軌道上を終始浮遊して会員もいる中で、日本青年会議所4万会員の内、70人中1人が当事業に参加してくれたという事実は、少なくはない方々の私達委員会の活動に対する付託であり、注視の現れなのだ。
閉会、撤収、そして一旦これにて委員会は散開、例の『前橋一発締め』。
私達は、命中精度も射程距離も個々ばらばらな、いわば放たれた矢文だ、飛んでいかなくてはならない。あるいは伝令・使番の母衣武者だ、駿馬・駄馬であるかの如何を問わず駆けねばならない。情報の集積を重ね、LOMを支え、日本JCの理想に肉迫するためだけに組織されている。
LOM懇親会に遅れてしまった。すでにかなり盛り上がって(荒れて)いる、茶碗が割れる。京都入りしている会員でこの座に参加しなかったのは、直前棟梁付の井上さんと、現在なぜか大阪で委員会が開催されているらしい藤島さんのみ(確かに今夜の京都界隈はJAYCEEで芋を洗う状態になっているから、雑踏の中では落ち着いた?委員会開催は望めないのだろう)。京都、四条御池交差点、みずほ銀行地下、居酒屋『御池酔心』。昨年の地域開発委員会委員、宮副さんが手配してくださったそうだ。
最も期待していた宮副さんとの再会が果たせなかったのは残念だった。
平位担当室長以外の面々と今回初めて会う。これほどたくさんの会員の京都入りは久しく聞かない。
酒派は少ない。藤島さんが幹事を勤める領土・領海委員会から差し入れられたと聞く一升瓶を脇に添え、一人飲むことが出来た。銘柄は『文楽』、初めて飲んだ。京都会議にやってきたんだ、と個人的に再度納得させるに足る酔いを楽しむ。ここにシラフで遅れての参加するのは正直辛かったが、藤島さんが助けてくれたわけだ。
2次会は新入会員の矢野さんの紹介で先斗町で、3次会は路上呼び込みの女の子と佐藤室長が交渉して、飲んだ。
平位担当室長が私に含むところがあるようなので、私なりに彼と話をしたかったから付き合った(というか誘った)、ということなんだけど、店に入ればそれはそれで、別の目的を各々が無理にでも探したがる。5人で入店したのかな、結局3次会で室長とは話は出来なかった。
私はボックスの隅に。隣はさっき道端に立っていた女の子、ウランバートル出身だと言った。隣に座る連れが彼女に随分なことを言っている、我ながら日本人として恥ずかしい。彼女が、そらせてこっちに向けた顔は、化粧なれしてないからか、肌が白くきめが細かい。向こうに座る連れに背を向けたきりのその子と、時間まで話した。
コマーシャル制作業界の勉強に来日している、という。つい最近まで社会主義経済で、当時は当然計画経済、おそらくは(プロパガンダはあっても)商業上の『宣伝』なんていう概念も乏しい国だったのではないか(と勝手に推測する)。今後、最優先で求められ、急成長を遂げる業界なんだろうな。そうした業界で将来、活躍を嘱望されている、有能で気力溢れる若い女性が、他にたくさんある中で私たちの日本を選び、好奇と羨望と嫌悪のまなざしでこの国を陰から黙って見ている。
『いちげんさん』であることは話していたが、出口で手書きのメールアドレスを渡された。
まだ飲み足りない(のと、食い足りない)連中と別れて、ホテルに一人帰る。既に最終日、日付が変わって2時間を経過している。
一段落したけれど、委員会事業終了後の興奮でか眠れない。モンゴル・エルディネットで受けたという直前達への歓待の話も思い出された。京都の酒は私を日本人を代表してわびさせるほどに自惚れさせた。
『日本と日本人を嫌いにならないで欲しい、あなたはその賢さ故に私たちがすでに気付かなくなってしまった私たちの宝に気付くことでしょう、出来るだけ早く帰国して欲しい』などの旨を私の限界である中学英語レベルで発信すると、予想に反し以下の漢字交じりの美しい返信があった(※原文をそのまま表記する)。
『私は日本のことが嫌くないです
気を付けて帰る
私が郷に帰りたいだけど帰られない
これから頑張ります
できるだけ速く故郷に帰る
この仕事はもう辞めました
いつも無理をさせるから
明るい未来のために
一緒に頑張りましょう』
本当に酌婦を辞めたのかな。だったら私が最後の客か?どうかは判らないが、いずれにしろ、彼女は遠くない将来、美しく成長を遂げて帰郷し、国の礎になりたいと言っていた。
『明るい未来にために』、『明るい豊かな社会を築くために』、耳に覚えがある。
このフレーズは極少数の者が月一回集まっては、風呂の屁のように不明瞭にモゴモゴ唱える怪しげな呪文などではなく、国も民族も超えて、人類に根ざしている共通の理想なのですよ、お判りでしょう?と彼女は私に投げかけてくる。私はたまたま、ある一定の条件が許されて、彼女に酒を注がしめる席に座ったに過ぎない。彼女より優位な点といえばそれだけで、それすら優れているのかどうかも分からない。
『単騎、千里を走る』、というフレーズが頭をよぎる(これは中国映画だけど)。大陸の端から端まで駆け抜けた遠い遠い先祖たちが夢に見た、日本という国。その末裔たちは、世代を超えてやはり日本を目指した。
矢文や母衣武者であろうとした夜、彼女に出会えたことに感謝している。 |