2006年度 京都会議 編
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06年1月20日(金)

 委員会は京都国際会議場内、午後4時から。仕事の段取りが遅れてしまい、博多発が12時25分。委員会開催に間に合うだろうか。事前配布の委員会資料は既に読んでいたので、車内では駅構内で買い求めた本を読むことにする。

  京都会議に備え、京都会議担当の小委員会を中心に先週14日(土)に、東京で準備委員会が開催されている。先週は旅費の都合で参加を断念した。配布資料によれば、私は事業当日は場内整理を担当すればよいように読める。

  事前に京都国際ホテルにチェックインする。二条城前に立地し、宿の手配を委員会に依頼した委員10名ほどがこの宿に宿泊する予定だ。宿と旅費のパックにすれば随分安くなったのだろうけれど、運営幹事からの案内を優先し、幾分高額になるのを承知でこの宿にした。これまで何度か宿泊したことのある、静かで安心できる宿だ(価格はどうだ?)。3時40分、チェックイン。

 京都駅発、国際ホテル経由、京都国際会議場をタクシーで移動、3350円。どうやら委員会の開会に間に合った。受付で懇親会参加の如何を問われる、2次会までの懇親会費が合わせて17000円(1次会は居酒屋、2次会はラウンジらしい、参加するべきか悩んだが、今回は新年会と捉え参加した。)。そして、委員長からのお年玉ということでか、2冊の本を手渡される。一冊は松沢現神奈川県知事の、もう一冊はUFJ総合研究所の執筆したローカルマニフェストと地方自治体行政の関わりについてのもの。

  19時を目途に委員会を閉会する予定で、理事会での経過説明も年初の委員長挨拶も明日の事業説明も、かなり端折って終わらなくてはならない。しかしながらここに至るまでに、既に3回の委員会が開催されているし、私が不参加であった委員会の議事録も、理事会での協議内容も、全て閲覧できるように、運営スタッフが特にネット上で活躍してくれている。

  昨年末の時点では65名ほどだった委員会会員はその後増えて70名に達しているようだ(辞めた会員もいるけど)。後で聞いたが、これほどの委員を有する特別委員会は歴代でもなかなか無いらしい。それでか、委員会の協議の進行に割り込む形で、各地のLOM役員(主に理事長)が『手下の小屋入り?』を祝って祝儀やらを持参してくださる。所属する委員が多いから、当然出身LOMも多いわけで、各地LOM役員の挨拶で度々協議は中断し(ただでさえ短い協議時間を度々中断せねばならないので議事集中が難しくもある。これに優る祝儀の内容を期待したい)懇親会の最中の訪問を含めると、なんだかんだで合わせたら10LOMくらいのLOM役員が挨拶をして去っていった。でかいLOMは出向者も当然多いわけだから、いちいち祝儀を包んでいては出費は莫大になるのだろうな。いずれにしても、昨年のローカルマニフェスト推進特別委員会が確か30名そこそこだったことを考えても、私ごときが日本に単騎出向しようと目論むことを考えても、3年目にして日本JCの理念が燎原の火よろしく拡がっている証しでもある。当然、祝儀の総額もそれなりの額になったことだろう。

 明日の事業を主管する小委員会の長は東京・町田青年会議所の川島さんという。前述だが、現役町田JCよりこの委員会に市議会議員が複数名出向している。優劣を論じるわけではないけれど、当然、こうしたLOMでは地方自治行政の話題が日常活発になされているはずだ。

 私の小委員会は明日の事業に関しては主に会場内の誘導・整理を、私に関してはこれに加えて中津JCの増矢さん(父も兄も歴代理事長と聞いた、こうした屈指のサラブレットは日本を目指すのか?)と一緒に、質疑応答の時にマイクを持って、質問者にマイクを渡す係。明日の打ち合わせは小委員会ごとに終え、終わった小委員会から順に懇親会場への移動を指示されている。  頂いた書類などを、一旦宿に置いてから懇親会に参加したい。名刺交換して京都・亀岡JCの北野さん、奥村さんに国際ホテルまでの順路を聞くと、『一緒に地下鉄で行こう』と誘われた。道中、昨年の下川委員長(京都・福知山JCより出向)の話をしたらご存知だった。

 私には昨年の彼等の姿が、奮闘する前線と本陣との間を疾駆往来する母衣武者に思えた。下川委員長と直接話が出来たのは松藤ブロ長の電話を借りての一度きりだったし、その他のスタッフとの接触を含めても、諸々で5回もあったろうか。けれども、あの事業をあきらめ切れなかった正直唯一の原因は他ならぬ彼ら日本JC・母衣衆との接触であって、結局彼らとの出会いが今の私の立ち位置を指し示したとも言える。『70人衆』、理念に人が集まる現場を目の当たりにして興奮を禁じえない。

地下鉄で国際会議場から二条城前駅まで280円。さらに1次会場『祇園かっぱ富永店』までタクシーで980円。

 小委員会ごとに着座し、乾杯を待つ。右隣には先ほどの北野さん、そして左隣には東京JCの西村さん。西村さんは昨年の東京の理事長だ。昨年の会頭選挙に向けて最も尽力した東京JAYCEEに違いない。今村直前の替わりに委任状を持って投票場へ行かねばならなくなったこともあり、事前に平関東地区長については調べもしたし、その後の平さんの活躍にも注目している私へ、親しく言葉をかけてくださった。

 私は九州JCと称するけれど、隣接する沖縄地区のことを公の場で慮った九州JAYCEEに、私は接したことがない。平地区長は沖縄地区長の姿勢をメールマガジンで賞賛し、行動も共にし、そして沖縄JAYCEEを『友』と呼んだ。関東JAYCEEは『関東から日本を変え』ようと本心から思っているのだろうか。居酒屋の中ですら天下国家を憂うことのない私も、彼らと同じ権利を有するのだと聞く。

 東京JCが銀行を作ろうと思い至った経緯は、まさに平地区長がメールマガジン『JCはなぜ堕落したか?』号で述べてあった三輪善兵衛OBの話につながる逸話だと感じた。西村直前理事長が解説するには、銀行創設を決意したのは、LOMの例会に呼んだ講師(木村剛氏と言ってあったと思う)が『まちづくりを本気で考えるなら、諸君で中小企業振興のための銀行をつくれ』と云って立ち去って行ったことから始まったそうだ。20億集めれば銀行が立ち上がると分かった後に、行動を始め、仕舞いには60億を会員が集め、現在その支所が40箇所まで出来てしまったらしい。『ミドル・リスクな金利(7%くらいと言ってたかな。ちなみにこの銀行は担保無しで融資するらしい)で中小企業に融資を始めた銀行としては先駆なんですよ。以降、大手もこうした商品を一般化していったんですよ。』。

  東京JC、在籍会員700名、実働部隊が400名だとか。400名で20億を集めるなら、1会員で500万、60億なら1500万を工面したということになるのかな?つまり、彼等は一身で1500万の責任をとれる権限を有している、ということだ。そうしたJAYCEEも所属する関東JAYCEEの心意気は、内圧の高まりゆえに、形となってJCの枠の外に結果として溢れてしまうのだと、直前理事長は淡々と、鎮かに話す。前述のとおり、昨年一年で40数回の公開討論会を開催してしまったLOMの当時の理事長が、今、隣席している。

 ゼロは40倍しても50倍しても、ゼロはゼロだ。私がゼロであることを諭す機会にあふれている。

 対面に神奈川・大和JCの池田さん。明日の事業のコーディネータ兼講師でもある。金融庁を退職し政策研究所を立ち上げJCに入会、自由人然とした逸材であり、わたし達の委員会の屈指、百戦錬磨の『もののふ』でもある。昨年もこの委員会に出向なさっていたらしい。おそらく以降のLOM活動においても協力してもらえると思う(この翌日、平位担当副理事長が池田さんとセミナー会場で名刺交換していた)。2次会では葉巻を吸ってた。趣味人かな?LOMに来てもらうなら御土産は上質の葉巻で誘うといいかも知れない。

 他には私の小委員長出身LOMである霧島JCから、竹下さん(26・7歳?入会9ヶ月らしい)、そして林さん。林さんは理事長経験者でもある。かつて7・8年前の九州地区長だった熊本の野々口さん(懐かしい名前だ)と行動を共にした古参の猛者との噂。『でも会社が傾きかけたよ。うちの嫁さんからも、あんたがJAYCEEでなかったら家が一軒建っとる、といわれとるよ。』。それでも、また還ってくるのがJAYCEEの哀しさというべきか、血というべきか。林さんは今年卒業だそうだ。独りよがりな私のJC論を最後まで全て聞いてくれた上で、一つひとつに反駁いただいた。

 2次会は歩いて『千扇 ちせん』というラウンジ。本来は結構高い店らしい。『普通、この値段じゃ、ここじゃ椅子にも座らせて貰えないよ』とは先ほどの亀岡JCの二人の談。で、座らせては貰ったけど、ブランデーと麦焼酎以外は飲めないみたいだ。林さんは『芋じゃねえなら水でええ』と本当に最後まで水しか飲まない。私もワンカップとエイヒレの方がよっぽどいいけれど、仕方ないからブランデーを生で飲んだ。

 よく考えたら、70名も委員がいるのに京都JCの会員は一人もいなかったな。『いちげんさん』で分不相応に楽しい祇園を期待するなら、身の振り方は次年度の時点から多角的・入念に考えなくてはならない。これは現時点で、出向者としての私がLOM会員へ発信出来る数少ない提言である。

この委員会は座を『前橋JC一発締め』ではける。私達の『一本締め』の由緒ある起源であり、委員長がこれを流行らせたいらしい。その流儀については改めてまた後日。
タクシーで一人、宿へ、1210円。ここで私は缶ビールの一本締め、11時30分。明日は対外的な初めての事業だ。

 

06年1月21日(土)

 朝6時起床。現場作業員の体内時計は祇園の酒でも狂わないのが哀しい。風呂に入りヒゲを剃り、それでも7時。テレビは、やはりライブドア、これに米国産牛肉の禁輸部位混入騒動が新しく加わっている。

 7時30分の会社の始業に併せて、従業員に電話をする。甘木が雨でないことは携帯でも確認できるが、現場は常に変化する。意味がある京都会議にしなくては誰のためにもならない。『私は祇園に金を落としに来たわけではないのだぞ』。

 すぐに朝食。とにかくたくさん果物を食べるのが私の朝食バイキング(酒を飲んだ翌朝は食欲もないがアルコールの分解には糖は必要と聞いたような)。川島小委員長が委員と二人、食事をしている。本日担当小委員長の川島さんは『スタートアップ・セミナー』に相応しいプレゼンを求められている。

 わたし達の小委員会の集合は9時でよかったが、川島小委員長たちを『見てしまった』こともあって(スタッフの多くは打ち合わせを密にするため、LOMと別働でホテルに宿泊している)早出することにした。タクシーで2160円。会場着は8時20分。

 10時30分から隣室ANNEX1で『理事長セミナー』が開催される、リハは10時までで終える予定。結果から言うと私が現地入りした時点で、担当小委員会が準備を終えており、特にすることは無くなってしまっていた。委員長や川島小委員長の挨拶の練習や、プロジェクターに映し出されるパワーポイントの映像の具合を眺めるうちに、私の小委員会(伊達小委員会という)が集合、持ち場を確認、一息入れる。10時になった。

 隣室ANNEX1で理事長セミナーが開催される。第1部では真の自立国家創造会議が『真の自立国家創造セミナー』を45分、第2部では憲法問題委員会が『検証「日本のあるべき憲法とは」』を45分。開会の挨拶での発表では900名の入場らしい。

 藤島さんの領土・領海問題委員会も属するわたし達の『国家統治システム創造グループ』は、自治体運営・国家運営に提言し続けるJAYCEEの巣窟、実働部隊といえる。地方分権、市民意識高揚、外交、安全保障、福祉、少子化問題。これらの中核官房役が『真の自立国家創造会議』と私は勝手に捉えている。各々の会員が独自・独善な目的を持って出向している日本JCの委員会にあって、こうした官房役の会員の尽力を忘れてはいけない。そもそもLOM中核で本年一年、その力量を試されるべき理事長の立場もこれに当たるはずだ。理事長セミナーとして先ずこれを当てた理由も察せられる。一つひとつの問題をとっても、簡単に解決できる問題ではない。軍曹には軍曹の、将校には将校の戦いがあるのだ。
午後4時からわたし達の委員会のセミナーが隣室で開催されることもあり、この中で私達の委員長が時間を頂き、挨拶と事業案内をやった。

第2部は日本の魂(こころ)創造グループ・憲法問題委員会主管のセミナー。

これは素晴らしい内容だった。
私の思想と重なるかどうか、とか言うレベルの話ではない。『私達が憲法を論じている』という事実の意味を伝えたいという、担当委員会の姿に感銘を受けたからだ。2005年度の憲法問題委員長もパネラーとして壇上に上がる。進行の中で、各種団体の起草した憲法草案(これは最新版『JC』などを読んでもらいたい)との違いも顕かになった。

 閉会の挨拶、締めに委員長が挨拶した、『時代の転換点において、JAYCEEが積極的に関わることが出来るのであれば、それは本望ではないですか。』。猛者がここにもいる。『JCが社会でマイノリティーなのは知っている。だったら先ずは、ラウド・マイノリティーで行くしかないだろ。』、私には彼がこう言っているように聞こえる。出向して間もない今だから新鮮に見えるだけなのだろうか?全ての委員会が火中の栗を敢えて拾おうと試みているように見えるのは、私が未だ冷静ではないからだろうか?私達の委員会がそうであるように、確かに案件を越年継続・追求する委員会は日本JCに多い。組織の大小を問わず、諸々の事業を単なる消化事業であることでよしとするのかどうか、その要件は何なのだろう。

 閉会の挨拶も終わっているからセミナーは事実上、もう終わっている、会場からの退席が始まる。しかし場内は暗いまま、パワーポイントで映像が流れている。シンプルな画面構成のスクリーンに映し出される命題に、委員会のメッセージを見出した会員のみが着座したまま、退席者でざわついた場内に残っている。

 最後の命題は『私達が憲法を論じることで、初めて、憲法が私達の財産になるのです』。
ここで場内が明るくなった。残った会員は、決して少なくはなかった。

 昼、国民主権確立特別委員会は、理事長セミナーが開催されたANNEX1の隣、ANNEX2で弁当を食べる。ここで16時から私達の委員会がセミナーを行うのだ。私は場内整理と質疑応答の際のマイク運び、だ。リハと場内確認を何度も行った。
しかし、待機時間4時間は長い。昼寝する委員もいる。

 この時間を利用して、総会の映像がANNEX1・2ともに、スクリーンに映されている。映像、ひな壇中央に現会頭、向かって右に高竹直前会頭、その右隣に川越直前棟梁、現会頭の左後ろに成松地区長。決算と予算の承認がなされている。会員減少に歯止めがかかりつつあるという情報は興味深かった。

私達の委員会事業の受付が始まる、16:00。
入場数は最終集計で556名とのこと。予想は入場250名。450席ほどしか用意していなかったので立ち見が出た。急遽増席、この作業はわたし達だ。

3部構成で進行。1部が総論、ここで委員長と担当小委員長が登壇する。前述のとおり、公開討論会の開催に加え、討論会におけるコーディネータの自前での養成や、選挙のない時期におけるローカルマニフェスト活動についての取り組みを提言した。
2部が前述の3LOM理事長経験者の公開討論報告会。コーディネータは池田さん。

 ここでは質疑応答があり、明らかに実現不可能ではないかと思われるローカルマニフェストを提示してきた立候補予定者との関わり方や、ローカルマニフェストを作成しない立候補予定者の取り扱いについて、などのやり取りが印象に残った。
日本JCは次ぎのステップに移行しようとしているけれど、その段階にまで達していないLOMも少なからずあるように感じた。また、討論会の開催を達成できたことの意味を改めて問い直しているLOMもあるようだ。

 3部は池田講師のコーディネータ養成講座。これは時間も短かったし、実際、これを受講して『さあ、俺もこれからコーディネータだ』とは思えない。しかし、コーディネータが他所からの借り物でなく、地元の責任世代でやるべきなのだという趣旨は伝わったのではないか。これは越年事業になるのかもしれない。この委員会事業は地域改革と自己改革の事業となりつつある。

 予想をはるかに超える参加者に体験していただいたこと、新しい取り組みを分かち合いたいという姿勢を伝えることが出来たこと、は言わずもがなの成功であり、事業終了後まで熱心な意見交換がなされていたことは、独自の経験を既に積んだが故に資産を多数有してあるLOMが全国各地に多いことの現れであり、設営委員会・参加者ともに勇気づけられる時間になった。反省を踏まえ、新しく形にしなくてはいけない。
  土曜昼あたりから会議場を中心とする周回軌道上を終始浮遊して会員もいる中で、日本青年会議所4万会員の内、70人中1人が当事業に参加してくれたという事実は、少なくはない方々の私達委員会の活動に対する付託であり、注視の現れなのだ。

閉会、撤収、そして一旦これにて委員会は散開、例の『前橋一発締め』。
私達は、命中精度も射程距離も個々ばらばらな、いわば放たれた矢文だ、飛んでいかなくてはならない。あるいは伝令・使番の母衣武者だ、駿馬・駄馬であるかの如何を問わず駆けねばならない。情報の集積を重ね、LOMを支え、日本JCの理想に肉迫するためだけに組織されている。

 LOM懇親会に遅れてしまった。すでにかなり盛り上がって(荒れて)いる、茶碗が割れる。京都入りしている会員でこの座に参加しなかったのは、直前棟梁付の井上さんと、現在なぜか大阪で委員会が開催されているらしい藤島さんのみ(確かに今夜の京都界隈はJAYCEEで芋を洗う状態になっているから、雑踏の中では落ち着いた?委員会開催は望めないのだろう)。京都、四条御池交差点、みずほ銀行地下、居酒屋『御池酔心』。昨年の地域開発委員会委員、宮副さんが手配してくださったそうだ。

最も期待していた宮副さんとの再会が果たせなかったのは残念だった。

平位担当室長以外の面々と今回初めて会う。これほどたくさんの会員の京都入りは久しく聞かない。

酒派は少ない。藤島さんが幹事を勤める領土・領海委員会から差し入れられたと聞く一升瓶を脇に添え、一人飲むことが出来た。銘柄は『文楽』、初めて飲んだ。京都会議にやってきたんだ、と個人的に再度納得させるに足る酔いを楽しむ。ここにシラフで遅れての参加するのは正直辛かったが、藤島さんが助けてくれたわけだ。

 2次会は新入会員の矢野さんの紹介で先斗町で、3次会は路上呼び込みの女の子と佐藤室長が交渉して、飲んだ。
平位担当室長が私に含むところがあるようなので、私なりに彼と話をしたかったから付き合った(というか誘った)、ということなんだけど、店に入ればそれはそれで、別の目的を各々が無理にでも探したがる。5人で入店したのかな、結局3次会で室長とは話は出来なかった。
  私はボックスの隅に。隣はさっき道端に立っていた女の子、ウランバートル出身だと言った。隣に座る連れが彼女に随分なことを言っている、我ながら日本人として恥ずかしい。彼女が、そらせてこっちに向けた顔は、化粧なれしてないからか、肌が白くきめが細かい。向こうに座る連れに背を向けたきりのその子と、時間まで話した。

 コマーシャル制作業界の勉強に来日している、という。つい最近まで社会主義経済で、当時は当然計画経済、おそらくは(プロパガンダはあっても)商業上の『宣伝』なんていう概念も乏しい国だったのではないか(と勝手に推測する)。今後、最優先で求められ、急成長を遂げる業界なんだろうな。そうした業界で将来、活躍を嘱望されている、有能で気力溢れる若い女性が、他にたくさんある中で私たちの日本を選び、好奇と羨望と嫌悪のまなざしでこの国を陰から黙って見ている。

『いちげんさん』であることは話していたが、出口で手書きのメールアドレスを渡された。
まだ飲み足りない(のと、食い足りない)連中と別れて、ホテルに一人帰る。既に最終日、日付が変わって2時間を経過している。

一段落したけれど、委員会事業終了後の興奮でか眠れない。モンゴル・エルディネットで受けたという直前達への歓待の話も思い出された。京都の酒は私を日本人を代表してわびさせるほどに自惚れさせた。
『日本と日本人を嫌いにならないで欲しい、あなたはその賢さ故に私たちがすでに気付かなくなってしまった私たちの宝に気付くことでしょう、出来るだけ早く帰国して欲しい』などの旨を私の限界である中学英語レベルで発信すると、予想に反し以下の漢字交じりの美しい返信があった(※原文をそのまま表記する)。

『私は日本のことが嫌くないです
  気を付けて帰る
  私が郷に帰りたいだけど帰られない
  これから頑張ります
  できるだけ速く故郷に帰る
  この仕事はもう辞めました
  いつも無理をさせるから
  明るい未来のために
  一緒に頑張りましょう』

本当に酌婦を辞めたのかな。だったら私が最後の客か?どうかは判らないが、いずれにしろ、彼女は遠くない将来、美しく成長を遂げて帰郷し、国の礎になりたいと言っていた。

『明るい未来にために』、『明るい豊かな社会を築くために』、耳に覚えがある。
このフレーズは極少数の者が月一回集まっては、風呂の屁のように不明瞭にモゴモゴ唱える怪しげな呪文などではなく、国も民族も超えて、人類に根ざしている共通の理想なのですよ、お判りでしょう?と彼女は私に投げかけてくる。私はたまたま、ある一定の条件が許されて、彼女に酒を注がしめる席に座ったに過ぎない。彼女より優位な点といえばそれだけで、それすら優れているのかどうかも分からない。

『単騎、千里を走る』、というフレーズが頭をよぎる(これは中国映画だけど)。大陸の端から端まで駆け抜けた遠い遠い先祖たちが夢に見た、日本という国。その末裔たちは、世代を超えてやはり日本を目指した。
矢文や母衣武者であろうとした夜、彼女に出会えたことに感謝している。

06年1月22日(日)

 私は、個人的に、4人のボスを担いで今年、青年会議所活動に取り組む。4人、とは、LOMと日本の委員長、LOM理事長、そして日本の会頭だ。
  歴代会頭の年初所信表明は京都の地で幾たびも聞いてきたし、私も話しの上手い下手でそれらを評価する年齢でもなくなってきた。しかしながら今年の池田会頭の年初所信は、そうした中にあっても注意を払って聞いたものの一つとなった。私が日本に出向している年度の日本JCのボスだからというのもその理由かもしれないし、その壇上での話をたった半年で3回も生で聞くことになるという経験も初めてだったから(サマコンでの会頭選挙、昨年末の九州JC出向者フォーラム、そしてこの京都)かもしれない。

   が、私にとって現会頭が出色なのは、やはり1999年の松山会頭以来の、選挙で選ばれた会頭だから、だ。私たちと池田会頭との関わりは必然、例年の会頭以上に強くなければならない。結果、私は彼に注視しており、各所での発言には出来るだけ目を通している。

 場内は恐ろしい数のJAYCEEで満ちている。これは現に見たものでしか想像できない光景だ。第1会場で収まらないことを想定し、プロジェクターで会頭の話を視聴できるだけの別に設けた第2会場もすでに満員。私は第2会場にすら入られず、その出入り口付近に立ち、場内に入れないから折角のプロジェクターも見ることが出来ない。消防法を無視した『すし詰め』だ。

それほどの混雑にも関わらず誰も一言も私語をしないし、会頭が頻繁に使う述語は既におおよそ理解しているつもりなので、場外に漏れ聞こえる所信を聞くのにさほど苦痛はなかった。

所信を聞き終わり、国際会議場をあとにする、11時。
銀閣寺をめぐり金閣寺に向かっているというLOM本隊との合流を目論むべく、単身タクシー乗り場に並ぶ。

 タクシー待ちの列の前後から、先ほどの年初所信についての様々な批評が聞こえてくる。総して『日本JCがバランスを欠いた組織になろうとしている』と言っているように聞こえる。『「WE BELIEVE」の表紙、去年は自衛隊シリーズで今年初号が日本刀なら、来年の新春号は三島由紀夫か』(彼らが三島を読んでいるかどうかは確認できなかった)、と冷笑している者もある。

  会頭の唱える『精神ルネッサンス』が建設的な復古主義としても、それを『反動』と容易に読み替える会員もいるだろう。彼の並々ならぬこだわりは、ここ3回の『演説』の中で反復して聞いているし、話題は極めて集約されている。会員も色々いるんだから、同様の話しはもう聞きたくないという会員がいてもおかしくはない。それでも私が耳をそばだてるのは、現会頭が選挙で選ばれた会頭であるからであり、『これだけしか知らない』のではなく『これだけはやりたい』会頭なんだろう、と思えるからだ。一体、果たしてこの御時世、無知で組織を束ねられるほど日本は狭くない。

 『JCが日本に存在するという事実は、全くもって褒められた話ではない。明るく豊かな社会を目指し続けた組織がいまだに存在するのは、いまだその目的が未達成であるからだ。私達が立志して以来、この社会が少しも明るくならず、豊かになることもなかったからだ、要は我々若者の怠慢の結果だ。掲げた目的を追求する気もない組織を一体誰が必要とするのか。経理上、領収書が欲しいからこの組織の存続を願っているのか?すでに末期的な今日にあっても、日本のJAYCEEは覚醒すべきだ』、と大音声で話していた(所信の趣旨が、私にはこう聴こえた)。

 『組織の護持が優先か?』という論争を実は前夜、ある会員と『御池酔心』でやったばかりだった。かく言う私も時々、池田会頭は無責任だ、と思うことがある。あの平関東地区長なら、もっと明解な活動方針を掲げたかもしれない。好きか?と問われれば返答に窮する。しかしそれでも、そんな彼がある人物と重なって思えることがあるのだ、吉田満著『戦艦大和の最期』に出てくる、あの臼淵大尉だ。去年のある時期、私はこの本を読み返していた。『言霊』とは大尉の言葉にこそ相応しい、私ごとき万事不感症な凡夫が頭を掻きむしられる言葉には、『霊』がとり憑いているとしか思えない。

『せめて一穴を開けるのだ、その一穴から光明が差し込むのだ』と現会頭は今月の機関紙の表紙で言いたかったんじゃあないのか。調整と保身で済ませれば波風立たずに任期が終わりそうなものなのに、敢えて右でも左でもない、自分の信ずる『中道』を歩もうとしているんじゃあないのか、仮に冷笑されたとしても。
現会頭が今後の一年をかけて残す全ての功罪を、今年度は特に、日本JC4万会員と当然のことながら寸分違わず等しく分かち合わねばならないことに、私は他の会員同様、責任と期待とを感じている。池田さんから目をそらさずに一年を終えることは、自分と青年会議所活動の関係を主体的に洗い出す、格好の機会となるはずだ。
 
  金閣寺の入り口で直前理事長、田代室長と合流。屋外の串団子屋で、金閣寺境内を散策している会員を待つ。
  12時40分、金閣寺より徒歩5分にて昼食会場『権太呂』着。

  余程会話がうるさかったのか、仲居さんが『福岡の方たちですか』と問いただす。宗像出身で立命館の大学院に通う女学生らしい、京都に在住6年目という。誰とはなしに、一人1000円ずつカンパして、『学費に当てろ』、これを押し付けがましく退散する。
来週、宗像からボクシングの世界チャンプが誕生するかも知れない旨話しておいた。

 タクシーで京都駅に向かう途中、同乗者には悪かったが、私が宿泊した京都国際ホテルに自分の荷物をとりに寄ってもらった。
  荷物を預けていたここのフロントで、チェックアウトしている運営幹事2人と委員長に会うことが出来た。与えられた機会を最大限に活かして、その寸暇を惜しんで最後まで打ち合わせに明け暮れるのが日本のスタッフらしい。金も時間も頭もないから、射程も精度も航続距離もおぼつかない、頼りない矢文や母衣武者にしかならない出来の悪い会員からであっても、そのエントリーを断らないのが日本JCと聞く。よって、スタッフのご苦労は察して余りある。
『行き倒れせねば還ってきます』、求められる握手に一人ずつ応えた。

 LOM本隊とは別に、独自に手配したチケットで新幹線、博多着18時。しかし田代直前専務は、なぜか一人乗り遅れたらしい。昨年でなくてよかった。
  田代室長とと駅構内の居酒屋で合流、甘木へ。

 すでに、委員長からの長文の御礼メールが届いていた。