2月18日(土)
前夜17日金曜、神吉代表との勉強会の後、吉森・井上正副委員長と三人で飲み直しているところへ、配属の伊達小委員長(鹿児島・霧島JC)より電話が入る。甘木・朝倉の取り組みについての問い合わせだった。伊達さんは今、私の LOM の情報も集計に織り交ぜながら明日の小委員会への準備を進めているのだろう。時刻はもうすぐ24時という時刻だった
来週25日も東京で委員会があるけれど、私には東京を月に2往復は困難だ。どちらかはせめて参加したいと思っていたところへの、深夜のこの電話に触発された。それに加えて次回25日は全体委員会であって、小委員会はこれまで単独開催されたことがない。小委員会なら少人数で議論を深め合うことも出来るだろう。顔と名前を一致させるのが恐ろしく下得手な私向きでもある。
あす以降の仕事の工程を頭の中で組み替え始める。
私が担当する各地ブロック内では、ローカル・マニフェスト推進・普及事業へ取り組む会員会議所は、数としてはいまだ多くはない。私が今のまま不勉強な状態では運動の推進・普及にはほど遠い。だったら一刻も早く見聞を広める使命が私には、ある。
自らを保ちつつ変質せぬまま、接触する物質に対して変質を促すものを化学上『触媒』という。触媒であるには、個人の近視眼的体験を超えた理念を血肉にしなくてはならない。情報を伝播、回収するだけでは不十分だ。
ローカル・マニフェスト推進・普及運動をはじめとする住民主権型社会追及活動は JAYCEE を原点回帰させしめる、幸福な唯一の事業だと信じている。結果としての事業の実現はさておき、この事業に取り組まないとすれば、それは自らが住まう地域や青年と自称する自己自身に対する背信ではないのかとさえ思う。私ごときが JC を語るのはおこがましいとお考えなら、かつての国内の JC 創成期に思いをはせて頂きたい。
今昔問わず、若者は若者に過ぎない、力があったとは決して思い得ない。しかしながら敗戦し、当時頼りとなる実力者は巣鴨をはじめとする日本各地のプリズンにすでに繋がれてしまっている。自分の娘や恋人が、かつては鬼ともさげすんだ連中に媚以上のものを売らねばならなかった現場にたたずんだ者もいただろう。
孤立無援で、コロリととり残こされた非力な若者は、自己の非力を承知の上で国と地域の再生に自力で取り組まざるを得なかった。『僕が成長するのを待っていてくださいね、それまでは売れるものは何でも売っていてください、だって僕、今は非力なんですからしょうがないじゃあないですか』という支払猶予期間はなかったろう。あったとしても敢えて拒否した。
個人としての成長への欲求・自己愛は他者への愛惜の念には伍し得なかった。これは日頃は目に見えない、発生以来の日本 JC の髄だ。現状については異論あっても(私も自己研鑽・自己愛のためだけに入会した)、日本の JAYCEE に関しては『まちづくり』のために生まれてしまっている。以降の様々な運動はこれを彩る力強くも美しい枝葉や果実だ。
この国は最早、そしてさらに貧しい。有権者が例外なく責任ある主権者意識を持つ以外に、直面する諸問題を解決させる、再生へのプロセスは始まらない。それが今日の『まちづくり』であって、現状手法として最適であるのが『ローカル・マニフェスト推進・普及事業』と日本青年会議所は捉えている。
各地には自らが JAYCEE であることに悩み、しかしながらこだわっている連中が多い。自分が良質の触媒であろうとするなら、引き出しが一つのみではまるで駄目だ。地域にはそれぞれに地域の事情がある、個人の実体験だけでは語りあうことは決して出来ない。メタな理念はサロンとは無縁の、泥まみれの連中が互いの垣根を越えるためだけに要る。昨年の私を導いたのは、甘木朝倉を一度も訪れたこともない連中の語る、延焼性の高い情念と摩滅し難い理念だった。結果、本年、日本青年会議所に委員会が数ある中で、 LOM の軍手部隊と協働し得る数少ない委員会と信ずる『70人衆』の末席に名乗りを上げるに及んだ。
今回は、出席を悩んでいた位だから、チケットの手配も、金の工面も出来てない。
スカイマークのホームページを見ると空席はある、福岡・羽田往復33000円。地上の移動費用を考えても、日帰りなら何とか40000円でやれるのではないか?金がないからまたみんなと飲めない、でも仕方ないからな。どうせ今年、東京の店で常連になったところで、来年来れるわけじゃあないんだ。
福岡空港の近所のパーキング(一泊1000円くらいの)でかつて『スカイマーク利用者はお断りです、あの航空会社は到着遅延や欠航が多いんで困るんですよ』と言われたことがあった。そこでターミナル前の駐車場を利用、一日停めて2500円(今回も日帰りだから追加料金は要らないはず)。
スカイマークの搭乗口は最も端っこ、やたら遠い(革靴で走ると日頃使わない筋肉を使うのか、翌日スネが筋肉痛になった)けれど、それでも拾う神なるこの会社の存続を切に願わずにはいられない(せめて出向任期の今年の12月までは)。
浜松町で昼食。
ここで昨年、講師の原藤さんと2回、酒を飲んだんだった。2回目はサシで。盛り上がりすぎて時間を忘れ、モノレールで羽田に向かったら最終便の後。仕方なく空港内のホテルに宿を取ったら15000円(高いっ。便変更手続きに要する費用も別にかかった。遠出すれば安宿もあったが、翌朝の始発便に変更したから空港近場の宿が望ましかった。一人の素泊まりにはもったいない、広くて恐ろしく立派な部屋での宿泊に、抗し難いあらぬ妄想も芽生える)。まだ21時前なのに何もやることもない。売店で売っている文庫本はフランス書院系しかない。『ええい、ままよっ』とルームサービス、寿司とハーフワインとチーズと清酒2合を頼んで、早々に寝た。後日、甘木で原藤さんにこの話をしたら、『どうせなら、時間無制限で飲み明かせばよかったねぇ』。いろいろ思い出深い浜松町にまたやって来た。
浜松町駅 1 階には飲食店がいくつかあり、今回は中でもとにかく安いものを探して、カレー屋にする。ここの店内のテーブルは全て正方形の4人掛け。雀荘でカレー屋もやっている面白い造りだ。気に入った、次回以降はここに決めた。一番安いカレーに福神漬をかけて増量させる。
小委員会の前に、不謹慎だが生ビールを1杯飲む。両空港構内を端から端まで走り廻ったから咽も渇いた。伊達小委員長、恨むならスカイマークを恨んで欲しい。
JC 会館へはタクシー、途中に中央官邸が軒を連ねていることは前述。
前方がなにやら騒がしい、あちこちに警官、機動隊、バリケード。『右翼ですか?今頃なんでしょうね?』と徳島出身という運転手さんと話す(初めて目にする、どう読んだらいいのか分からない名字の運転手さんだったので、『どちらの方ですか?』と思わず出身地を尋ねた)と、北方領土の日や建国記念日のある2月には、毎年こうした結社が永田町を目指して全国から集まり、しばらく東京に滞在するらしい、とのこと。ここ数日、彼等は各所で結集、その街宣車はキャンピングカーよろしく宿泊設備も備えてあり、長期遠征に堪えられるそうだ。
首相官邸と国会を背後にしてバリケードに進路を阻まれた私達に、警官が『あと30台来ますから』と告げる。こうしたバリケードがこの永田町の一画を取り巻き、車両の内部への侵入を防いでいる。数珠繋がりの30台に私服警官やらがビデオカメラを向けている、乗車している構成員の顔の鑑定の資料とするためか。
街宣車の発するアジ演説は一定の音量以上には音が出ない仕組みを備えているそうで、『だから、道交法やらでも検挙出来ないんですよね』。政治結社も情念だけでなく、各種電子設備も擁しておかなくては活動は継続できないのだ。『警察も結社も事前に打ち合わせしてますよ、きっと』、15分ほどの間、動かないタクシーの中で運転手さんと話しこんだ。
会館に13時30分着、委員会は14時から。2階、(社)東京青年会議所事務局。同じフロアに『構想日本』の事務所もあるとは知らなかった。
新聞に掲載されているトリノ・オリンピックの話題を話している、同じ小委員会の昼間さん、佐藤誠さん(どちらも東京 JC ・品川)と挨拶する。コーヒーを頂く。この二人とは京都会議でもご一緒した。次いで、伊達小委員長、中尾小幹事がみえる。他に、笹島さん、宇田川さん、花形さん(みな東京 JC )が揃って委員会開催。遅れて中津のサラブレット、増矢さんがみえる。
今回の小委員会の最大の案件は、日本青年会議所の提案する『ローカル・マニフェスト推進・普及協働運動』へエントリーしてくれる LOM が少ないことだ。2004年度、2005年度と2ヵ年の実績もあり、ローカル・マニフェストの検証の時期に入っているべき自治体もあるはずだが、これに取り組む LOM も少ない。国政選挙こそないとしても、選挙が少ない年度であるわけでもない。
想定外の事件が連発するのが公開討論会やマニフェスト検証事業でもあろうから、極秘裏に事業企画を進めたい、という各組織内の配慮もあるのかな(昨年の私がそうだった)。いくつかのブロックでも任期満了にともない県知事選挙があるはずだが、こうした情報の入らないブロックもある。
昨年の自分の反省するところでもあったが、企画を練っているのであれば早めにその意向は公に表明すべきだと思う。圧力も気分の悪くなるような情報も続々集まってくるけれど、集まってくる全ての情報を併せ呑んで、まちの実情が複眼視出来るようにもなったから。
現時点で1名だけの立候補表明ならば、尚のことではないのか。青年会議所が公開討論会に取り組む意向があると知れば、新しい息吹をまちに呼び込む呼び水になる。合同立会演説会では資金は候補者持ちとなるけれど、公示日前の公開討論会に至っては私達が資金も段取りするわけだし。
別に泡沫候補を応援するわけじゃあないけれど、比較検討する材料が多ければ、互いに切磋琢磨して、よりよい候補として互いに選挙戦に臨んでもいただけることだろう。そうした結果選ばれた首長の以降の活動は、 JAYCEE まで含めた市民の利となるわけだから。
さらに進めて極論を言えば、事業として実施出来るかどうかということも、実はあんまり意味がないことなのかも知れない。
山部 OB がよく言っていた、『聞けよ、本石ぃ、 JAYCEE ちゃあゲソ揃えぞ』。これから歩いて行こうとする方々の、その歩むべき行く先を玄関先で、『こちらへ』という方向に下足を並べて(右に進んでもらうべきと信じるなら右に向けて並べてさし上げる、左にならば左に揃えて、進むべきでないのなら靴を隠すのだって方便だ)それとなく諭すのが JAYCEE だ、と教えてくれた(こうしたことを若手が嫌味なくやっていくのは至極難しいけれども)。
選挙になるのかならないのか、公開討論会が実施できるか出来ないか、これに焦点が集まり過ぎてはいなかったか。本当は、今後のまちづくりに関しては、責任ある主権者意識溢れる市民の時代なんだということを伝えたいから、『公開討論会』という下足を履いてまちを歩いて貰いたかっただけのことだったのだ。
事業の対象が市民ではなく『立候補予定者』に向いていてはいなかったか。開催の最低限の条件である複数の予定者の出演同意のみが目的になってはいなかったか。
誰のために、何のための事業を、どんな手法によって、実現しようと思っていたのか?
私達の小委員会はサマコンを担当する。企画は結構盛りだくさんで、与えられた時間枠に収まらないのではないか、などの危惧も語られる。今回のサマコンでの企画については、昨年、私が出向先として当委員会とどちらにするのか悩んでいた『地方分権問題委員会』との共催の話も出ていたが、委員長は『出来れば単独開催』を目指したいのだとか。京都会議での当委員会のセミナーに556名にも及ぶ参加があったこと(事前予想は200ほど)がこの『強硬論(?)』の根拠でもある。上層部もこれには批判的でもないらしい。
『 JC もある時代』に JC のブランディングは語られて久しい。 JAYCEE がやるべき、 JAYCEE にしか出来ない、 JAYCEE に求められている事業は最早この世にさほど残されていない。悪い言い方で言えば、私同様、考えれば考えるほど行き場もやることもなくなって、行き着いた先が『この前の京都会議のセミナーだった』なんていう会員も少なくはないと思う。
エントリー数を劇的に増加させるためのこれという妙策は浮かんでこない。結局のところ個人的に出来ることは、少しでもマシな矢文や母衣武者になることしかない。事前予想に反する京都会議での盛況は、蟻穴で堤が崩れる状況に至っていることの顕われでもある。そのときの勢いに流されないだけの備えは要る。一年後振り返れば、この2月は刀槍を研いでいる時期として思い返されるのだろう。
同時刻、同じ JC 会館内で全国のブロ長が集まって会議していたそうだ。この日は小委員会ではあったけれども、委員長も会館内で用件があったらしいからか登庁していた(ブロ長会議では皇室典範改正問題の勉強会が開催されていたらしい)。そこで仕入れた情報には、『来週、23日に佐賀ブロックが勉強会をやるみたいです。ブロックで事業の推進に取り組む地域が出てきているんですよ(この時点では「唐津開催」と聞いていたが、後日「鳥栖開催」と判明。また、神奈川ブロックもブロックとして事業を練っている。)』と委員長。
この伊達小委員会は東京 JC と九州 JAYCEE でその多くを占めている。唐津には私は土地勘もあるし、極最近では 玄海町 のプルサーマル発電問題についての公開討論会も開催されている。あの古川佐賀県知事の出身地(だったはず)でもあり、気になる事業案内だ。しかも、来週25日の東京での全体委員会への参加は無理だ。皆に不義理でもある。
『私が参ります』。
昨年の私を想起させる JAYCEE との出会いが鳥栖の地で待っていた。
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