(社)直方青年会議所主催 宮若市まちづくり公開討論会 傍聴編
2007年3月5日(日) 14:00〜17:00 福岡県 宮若市文化センター

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3月5日
 
  九州縦断道、福岡・古賀インター間に『立花山』という標示板がある、この地名は以前から気になっている。立花山城は新宮・久山・東区の境にあったというから、位置的にこのあたりに在ったのではないか?高速道で脇を通過するばかりで実際足で確認に訪れたことはない。ものの本によれば、実質最後の守将が立花宗茂だったと聞いている。
  戦国末期の三百諸侯に例外なく最大級の敬愛・信頼と畏怖の念を抱かせた極東無双の青年武将、立花宗茂を私も特別の思いで見ている。心底好きな唯一人の武将でもある(柳川の皆さんにとっては焼失した三柱神社の御神体なのでしょうが、甘木の人間にとっては初陣以来、秋月氏の積年の仇敵であるから、この件は地元甘木ではあまり口外しない。)。
多くの者が『立花宗茂』と書いて、『不屈の者、敗れざる者』と読む。越本さんのいる宗像JCにも縁ある地に本当に立花山城があったとしたら、これは偶然と割り切ってよいのか?この標示板の横を通過するたびに、いつも下腹にグッと力が入る。
『立花山』標示板を通過、若宮インターより一般道へ。

ブログの中で『おれは直方JCを絶対つぶさん』と言い放った松村理事長率いる直方JC主催、『宮若市まちづくり公開討論会』の会場、宮若市文化センター(旧宮田町文化センター)を目指す。本年度では、福岡ブロックにおけるJC主催の第1回目のローカル・マニフェスト型公開討論会となる。本年、橋頭堡を築いたのが美夜古JCなら、上陸部隊が直方JCとなる。これを傍聴すべく、LOMの吉森委員長と新『宮若市』へ入る。

直方青年会議所が公開討論会に取り組んでおられるという話を知ったのは、LOMの室長、平位さんからの情報が最初だった(京都会議、土曜夜の三次会で私が『日本人の恥』と呼んだのは彼のことではありません、誤解なきよう。で、彼は本年、福岡ブロックでLOM支援委員会なるところの副委員長でもあり、ブロック内21LOMの動静に詳しい。本来2年前、私たちのLOMで最初に首長選挙にともなう公開討論会を実施していたはずの当時の担当委員長でもある)。以降、何度か直方JCに接触を試みたが(直方の理事長のブログに直訴、書き込みを入れてみたりもした)、結局この日を迎えるまで直接話を交える機会を失っていた。私はこれまでも各所に出向したことはあったけれど、正直、前のめりになれずに終わった出向も多く、中洲や文化街のネオン街も遠くに眺めるばかりだった私には、LOM外に知り合いも少ない。一人くらい、気の置けない知り合いが直方にいてもよかったが、最早間に合わない。この時点で日本の相澤委員長や伊達小委員長にかなり迷惑をかけてしまっている。

合併によって誕生した宮若市は新しい首長を求めている(12日告示、19日投開票、討論会事業開催は告示日の7日前)。今回は5人もの立候補予定者が討論会に参加してくださるそうだ。こうした多数の予定者の意見に接することは、宮若市民のみなさんにとって自分のまちのおかれている状況を重層的に複眼視できる機会となることだろう。担当者のご苦労は察して余りある(以前、私はたった二人の候補との交渉にすら失敗している)けれど、きっと、この事業にますますの価値を見出してもいるはずだ。
今回の会場は500名強の収容しか出来ないという情報を松村理事長のブログから入手していた。予定者が一人で100名の支持者を集めれば5人で500名に達し、それで満杯、入場ができなくなる。心配になり、吉森委員長と早めに甘木を発った。

開会1時間半前、12時30分会場着、駐車場はほぼ満車。心配が的中した、と思ったら、実は隣接する会場で、とある予定者が総決起大会を開催していたようで、その支持者の駐車らしい。開催時間を充分にずらし、討論会事業開催前には多数の駐車スペースが確保できるように配慮されていた。
そういえば昨年の私たちが立案した事業においても、その開催予定日に一方の陣営が決起大会を開催していた。私たちは一般市民のために公開討論会を企画するばかりであっても、これを活用して持論を広めたいのが予定者でもある。

会場玄関、神吉コーディネータが一人のJAYCEE氏と腰掛け、語り合っている。神吉氏は私と吉森委員長の顔を覚えておいでで、笑顔で迎えてくださった。『ほう、また来ましたね』、『枯れ木も、山の何とかですから』。

そのまま私たちもその横の椅子に腰掛け、吉森委員長と二人、受付から会場内への導線や掲示物などを確認していると、神吉氏との話を終えられたのか、先ほどのJAYCEE氏が私たちへ名刺交換に見えた。福岡ブロックLOM支援委員会の担当副会長 渕上健二氏(福岡ブロック(社)大牟田JC)と名刺を拝見して知った。私の名刺を見るなりうなずかれ、ご覧になっておられるのか、この『出向記』について語られた。LOM支援委員会のページにこの出向記のリンクを貼るにあたっては配慮下さった重鎮と平位さんからも聞いている。
日本に出向すると大体これくらい要るぞ、という出納簿までも兼ねた、体験記・備忘録という位置づけでLOMのホームページへの掲載をはじめたのが、そもそもこの出向記ではあった(LOMの面々に理念へ出向することの喜びを伝える目的もあった。だから委員会事業のデータだけでなく、各地の同志との語らいを出来るだけ描写しているつもりでいる)。よって本来、他所にリンクを貼って貰うような趣旨のものではなかったが、福岡ブロックLOM支援委員会のページ管理者でもある平位さんが、本協働事業推進の足かせである私の行動半径の狭さを補うものとして、支援委員会のページへリンクを貼るべく尽力下さったものと理解している。
これまで単独潜行・ゲリラ活動を専らとしてきたような、どこの馬の骨とも測りかねる私の記事にリンクを貼るのには、責任ある担当副会長としても不安もあったろう。『君は少し挨拶に回った方がいいよ(概略こんな下知)』、数名のJAYCEEに紹介頂いた。

美夜古JCの城戸応昌さん、先日の公開討論会の成功を祝福申し上げた。なんといっても今年のブロ長輩出LOMだし、援護体制もなかなか整わないであろう年初に討論会事業に取り組むのには骨が折れたことだろう。しかしながら、目がLOM外に向かう機会も多くなる本年、公開討論会を通して地域とLOMの関係も再認識されたはずで、これを両輪として美夜古JAYCEEは一年間、進んで行かれるに違いない。

福岡ブロック(社)飯塚JCの亀田知左子さん、LOMの企画する今春の公開討論会を担当。伊達小委員長より聞いていた、『飯塚の担当者は女性、域内2首長選の告示日は同日、よって飯塚JCは短期間に続けざま2回の公開討論会を予定』。担当者の名前を調べ、ホームページを閲覧、飯塚JCの総務委員長と分かる。アップされている総務委員会基本方針は怜悧で無駄がなく切れ味がある。『もののふ』を思わしめるこの檄文に、いかなるJAYCEEであるのか、一度謁見したいと思っていた。
まもなくLOM域内で予定されている公開討論会では、三帝会戦でのナポレオン・ボナパルトよろしく長駆急旋回・短期各個撃破戦法の陣頭指揮を執る女性司令、ということになる。当国民主権確立特別委員会がぬかずき、畏怖する女性JAYCEEの筆頭は今年、京都会議でのスタートアップセミナーでも登壇願った秋田ブロックの松田悦子ブロ長であるけれど、惜しむらくは来年あたりがラストだったのではないか?亀田委員長にもこの協働事業の以降の見届け役になっていただきたい。そのときはこう紹介されることだろう、『飯塚のジャンヌ』、と。
2会場における開催での費用負担が懸案となっておられるそうだ。かといって入場料を取ると、これと引き換えに会場使用料の増額を求められている、と悩んでおいでだった。東京JCが昨年事業を連発した際の処方箋を聞いておくべきだった。私の矢文は的を射ることがない。

さらに宗像の井上理事長。昨年、松藤ブロ長の専務をお勤めでもあったので、甘木朝倉のメンバーとしての礼を申し上げた後、昨年の宗像でのローカル・マニフェスト型公開討論会の話題に移った。
京都会議で触発されたという当時の田中理事長の決断と、これに随身、邁進した会員の電光石火の事業展開が、時期を失することなくどのようにして理事会等とすり合わせることが出来たのか、LOM内の合意形成の手法についてお話をうかがった。
昨年、私たちの担当事業でも瞬時に調整しなくてはならない事態が続発した。30分ごとに事態が変化していく状況に対応出来ないメンバーや理事は日増しに増えてきた。組織を軽視し過ぎた担当者の責任は大きい、担当者の無能は周囲の迷惑にしかならない。昨年、絶好の学びの機会を多くのメンバーから奪ってしまった。

 私が勧められるまま、こうした識者を紹介頂き、話をしている間も直方JAYCEEはホワイエの一角に集まり、最終打ち合わせを進めている。この一群の着用しているスタッフジャンパーの中に『美夜古』や『宗像』の文字がまぎれている。『?』、と思っていると、他LOM有志が協力に来ているそうだ(宗像JC直前理事長田中さんもスタッフジャンパー着用、中に混じって当日の説明を黙って聞いていた。前述の城戸さん、亀田さん、井上さんも事業に協力していた。)。福岡ブロックのLOM支援委員会以外からも多数の有志が参集していたわけで、これは文化というべきなのか(松村理事長のブログにも、各地有志が個人の資格で協働を願い出ていることが報告されており、これに感涙なさっていた)。甘木朝倉の会員が他LOM主催の事業に率先して参加・協力するというのはあまり聞かない。美夜古も宗像もこの事業の意義と喜びを知っている先達で、これを『同志』と言うのだろう。
  やっと打ち合わせが終わった松村理事長が挨拶に見え、握手が出来た、初の謁見。日本へのエントリーの依頼を再度申し出るつもりだったが、後日に譲り、今回は控えた。

 13時、開会1時間前。すでにホワイエには200名強の入りがある。運営費として徴収された300円(残金の使途も明示されてあった)と引き換えに、その領収書とアンケート用紙(この裏面に諸注意事項を列記)、5枚つづりのローカル・マニフェストを渡される。予定者やコーディネータの略歴などは渡されなかった。椅子に腰掛け、皆結構マニフェストを読み込んでいる。高齢の方がやはり多く、印刷物として読みやすいローカル・マニフェストの作成も大事なことだと感じた。
13時30分、限定された入場口から会場内。入退場時には先ほどの領収書の提示を原則とする旨説明がある。会場最前列、上手側に座る。
 
5枚綴りのローカル・マニフェストは、各予定者一人一枚で、表面に各人の現状認識・基本理念を、裏面にローカル・マニフェストを印刷されている。隣に座った吉森委員長の持っているマニフェストを拝見すると、5人のパネラーのマニフェストは私のものと同様の順番で綴じられている。綴る順番がどれも同じでは不公平が生じはしないかと危惧したら、やはり理由があったようで、壇上の5人のパネラーの着席順に対応したものと分かる。5人を公平に対処するために、事前にパネラーに了承を受け、着席順・綴り順を決めていたようだ。コーディネータの神吉氏も『5人のパネラーと関わるのは初めてだ』ということだった。

 14時開会、会場内に400名の入り。
  主催者挨拶として、壇上に松村理事長、『直方JCについて紹介申し上げますと・・・』という話から始まる。場内で傍聴する市民にとっては『早く本題へ入るべきだ』と、これを無用に感じる方もいたかもしれないが、敢えてこれをやったのには理由があったと思う。以下、私の推論の域を出ないけれども、理事長のブログの中にあった、とある外部読者からのこんなコメントから推し量る。
・・・『なんで有権者でもない直方JAYCEEが関わっているのか?』という意見を予定者から聞きました。しかし、よくよく聞くと、『むしろ、新市の市民が率先してやるべきであって、直方JAYCEEの諸君は感心だ』ということでした。・・・
松村理事長は域内でのJC活動の展開の意味を、パネラーのみならず場内参加者に広く正しく伝えたいのではなかったか(なんでJCが選挙運動するわけ?なんていうのが誤解の最たるものでもある。公開討論会は市民主権型社会追及・有権者覚醒のための政治・まちづくり運動であって、選挙運動ではない)。現時点では宮若市では直方JCの認知度は高くはないのかもしれない(壇上の予定者の一人がJCOBらしいとも小耳に挟んだ。だとしたら誤解も生じやすかったろう)が、『市民主権を標榜する私たちの心底をまず知ってください、そして信頼してください』、と訴えたかったのだろう。
これは、当日のルール説明以上に大切な過程だったのだ。

神吉コーディネータからのローカル・マニフェストそのものについての概略説明。『皆さん、車を買うなら、値段も燃費も安全性も、かかる税金も次に受ける車検のことも考えるでしょう?みな数値化されていますよね、何となくイメージだけで車を買う人は少ないでしょう?ローカル・マニフェストというものは、つまりはこうした、極々普通のことなのです。日本の政治が特殊なだけで、海外では珍しくもなんともありません。』

本題に入り、各パネラーの基本理念とローカル・マニフェストの整合性を顕かにする段に至ると、これまで私たちがどんな基準で政治家を選んできたのかと自問する場面も出てきた。神吉氏の言うとおり、これまで政策は官主導で立案、執行され、政治判断される機会が乏しく、市民向けに披露も検証もされてはこなかったのではなかろうかと思える場面が、傍聴しながら何度か感じた。今回の市長選は予定者ごとの政策争点がはっきりしない選挙とも云われているらしいが、それ以前の選択基準を持ち帰った市民もいただろう。
建設的な意味での緊張感を持ち帰ってくださったであろう場内参加者400名の今後の市民生活は、これまでの陳情・批判の連鎖から抜け出すに違いない。

途中神吉氏は、市民による行政評価の究極の例として、穂坂邦夫前市長の改革に端を発する埼玉県志木市の取り組みについても紹介された(市民が市職員と机を並べて仕事をする市役所。穂坂さんの著作は是非読んでください。)。OB達の尽力を得て昨年秋に開催できた委員会事業を思い返した。穂坂さんや原藤さんとの交わりは単発で終わるべきものではなく、『JCもある時代』の一連の流れの中に組み込まれるべきものだと感じる。

事業は無事に終了した。討論会自体の詳細な経過については、まもなく直方JC担当者がホームページに発表する当日議事録に譲るべきと思う。告示日までの日数は少ないが、今回の議事録作成は短期間のうちに是非やり遂げなくてはならない。今日この時(3月8日現在)も、担当者は告示日前を目指して議事録の作成を続けているはずだ。

しかしここで特筆すべきは、松村理事長が冒頭の主催者挨拶が終わってからも御簾内に隠れず、進行補佐役としてコーディネータの横にずっと座り続け、舞台から一度も退場しなかったことだ。5人のパネラーを列席させる公開討論会は、途中休憩を挟んでも都合3時間の長丁場、つまり理事長と直接連絡を取ることの出来ない各所の担当者は、問題の発生に際して独自に判断できるだけの才覚を有し、覚悟も決めていたであろうことだ。協力者としてブロック内の各地会員会議所より有志も参集した上では、色々な意味で各担当者は緊張もひとしおであったろうに。
松村理事長は『おれは直方JCを絶対つぶさん』と言い放ったけれども、この言葉が理事長の『ひとりよがり』に止まらず、直方JAYCEEひとり一人の行動原理となってしまった明快な証しが『理事長壇上3時間』だったのだ。頂きを目指したのは松村理事長だけではなくなっていたのだ。
山頂より勝ちどきが聞こえてくる、
『我らは離脱する、社交辞令の重力圏から、自らの推進力で、もっと高く。
我らは打ち鳴らす、総力戦、陣ぶれの陣太鼓を、皮も裂けよと、もっと大きく。
火中の栗を拾う者、我が名は直方JAYCEE、
勝利の凱歌は、泥濘の中、わだちを切り拓く、我らの背後より響く。』

私たち70人衆は山頂を目指し、岩肌にしがみついている。慣例や通念という贅肉をまとった人間は、市民主権という名を冠する山の、下界からは雲間に隠れて見えないその山頂に、国家再生・地域復興という光明が降り注いでいることを察することが出来ない。
私たち70人衆は耳を澄ませて聞いている、私たち同様山頂を目指し、岩肌に張り付き、遠くにハーケンを打ち込んでいる金属音の発するところを聞き当てようとしている。『2004』と刻印されたハーケンを伝い、『2005』と刻印されたハーケンを伝い切り、つぎの足がかりに手が届かなくなった今、『2006』と刻印されたハーケンを岩肌に自らの手で打ち込んでいる、遠くに響く金属音を。
あるいは倦み疲れ、その手を休める者も出るのかも知れない。自分の非力と、仲間の妥協と、周囲の欺瞞とを責めながら膝を抱え、目をつぶり、蓑虫よろしくザイルにぶら下がって日を過ごさねばならない者もでるかもしれない。しかし、
『それでも』、
と目を開き、仰ぎ見上げるその手には、再びハーケンが握り締められているのだ、刻印に『2007』。

夕暮れの帰路、再び『立花山』の標示板が見えた。今秋の『おにぎえ』で踊り山の囃子方に呼ばれたら、三柱神社に報告に行こう。