飯塚市市長選討論会
『飯塚・嘉麻』市と市民の絆づくり実行委員会主催
2006年4月14日(金)18:30〜21:00
会場 飯塚コスモスコモン

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年初の委員会。
『打ち下ろして、切り上げる。燕返し?』。何のことかと思ったら飯塚の話だった。飯塚青年会議所は2つの首長選挙にともなう討論会を企画している。委員会内部の配布資料には、飯塚青年会議所は活動地域で同日投票される選挙、嘉麻市・飯塚市市長選にあわせてそれぞれ事業立案、とある。投票日にそう離れていない期日で開催するのが普通の公開討論会であるから、2回の討論会は同日開催、ないし期間をあけずに開催するはずだ。今年当初からエントリーいただいている会員会議所の中では特筆すべきであって、地域の有権者に主権者意識を隈なく広める上では当委員会の活動主旨に合致もする。自ずと注目もされる(果たして二撃目の抜きが『燕返し』なのか?秘剣ゆえに諸説憶測の域を出ませんが)。
『で、女性剣士』。エントリー頂いた会員会議所の協働事業担当者がこの資料に一覧で集計されている。女性と分かる担当者の名前は、年初の時点で私が知っていたのは、京都府知事選挙にともない亀岡青年会御所と歩調をあわせて討論会事業を開催した京都青年会議所の山下隆子理事長しかいない。理事長名でエントリーしている会議所は多く、『飯塚は女性理事長だったけかなあ?』、近隣LOMの情報にすら疎い私は、それくらいしか思わなかった。

帰宅して調べてみると飯塚青年会議所の『総務委員長』とある。ホームページに掲載されているその委員会所信が振るっている。長い文章をダラダラ書くことしか知らない私のような人間には書けない恐るべき檄文でもある。『詩魂』が無くては、ああは書けない。一説には『燕返し』の小次郎は添田の佐々木氏の出が有力とも聞くし、今回の担当者も筑豊JAYCEEの血統かもしれん。いかなる遣い手か、謁見の機会を待っていた。

宮若市の討論会の会場で初めて亀田委員長に謁見出来たときは、事前の思い込みとのズレに我ながらあきれた。午後の日差しに浮かび起つ淡い色のスーツをサラリと召された、立ち居振る舞いも洗練された女性JAYCEEで、それまでの『武辺者』の期待はあっさり裏切られた(華奢な姿は確かに『燕』似には違いなかったわけだったが)。この、国民主権型社会希求事業の担当者が、一部の偏屈者のみに振られるのではなく、広く求められるようになったとしたら事業の成熟の証であり、うれしいことでもあった。
その後、久留米の地で開催された福岡ブロック・LOM支援委員会主催の勉強会にオブザーバーとして参加されておられた委員長に再度お会いできた。

久留米での勉強会が3月18日であって、先ず行われる嘉麻市での討論会開催予定日が4月7日。私にしてみれば『いまさら勉強でもなかろうて』とも思うし、第一、対内外の打ち合わせに明け暮れるべき時期にこうして外に出歩くことはいぶかしい。
担当副会長以下、LOM支援委員会の面々や、この勉強会の講師として招聘された立花、野口両氏に混じり、その後の懇親会に参加する。委員長も同席されてあった。私は下駄箱を背後にし、左隣は壁に張られた『品書き』という座布団に座っていたので、ざわついた宴席の中央で話しこまれている内容はまるで聞けなかったが、委員長は事業開催に当たって何かしらの悩みを持っておいでだと耳打ちされる。他所に知り合いもいない私ではあっても、このネット時代においてはいくらか情報を集めることは可能でもある。まもなく開催を予定されてあるはずの討論会の情報が、この時点で外に洩れ伝わってこないことから、決して順調ではないようだ、とはあらかた察してもいた。

私たちは、求める『国民主権』型社会実現への確かな足がかりとして、腐臭を放つほど有権者意識が高まる選挙時期に敢えて事業を開催し、目指すべき目的達成のための効果的なシナジーを期待している。世話になったOB達ですら知らない、政治をまちづくりに引き込む、そして、失敗してもそれを挽回できる世代である青年であるからこそ出来る、事業でもある。
個別の事情は地域ごとにあると思うし、手法の問題をあれこれ悩み出すとキリが無い。活動指針を補強するならいざ知らず、末節が目的を引きずって事業が四分五裂してしまってはつまらない。しがらみの無い選挙も、これまた無い。地元の政治家や有力者がLOMと無縁である地域を探す方が無理な話だ。選挙活動と分化できない会員が国内の雄と呼ばれるLOMにですら存在する。果てして恩あるまちに対する『愛』は関係各位への『配慮』に隷属するとでも言うのか?

今回の飯塚地区の場合はどうだったのだろう?詳細は知らない。が、担当者はこだわっておられた。懇親会場の中心に小さく正座して、幾人もの会員に取り巻かれた、その肩越しに見える表情はうなだれている。胸から止むことなく湧き出てくる妥協や弁解という誘惑に比べ、自分の信じる理想の輝きがほんの少し眩しいばかりに、前への歩みを止めることができない担当者の姿は、哀しくも美しく映った。

4月2日、新聞に掲載された『公園内、花見客にチラシ配布』の記事には安堵した。人が集まる桜の下で、事業の告知を休日の日曜、実行委員会のメンバーが行っていたと記事にある(私だったら迷わず花見酒で酔った勢いを借りたい。昨年、そうすべきだった。)。実行委員会形式故に、事業をずっと下支えしてこられた林田理事長も各所で率先して告知に回っておられるそうだ。連日活気ある協議が進んでもいるらしい。よい知らせばかりが耳に入るようになった。『一夫義に立てば回天の業成る』、昨年の下川委員長は所信をこう結んだのだった。
嘉麻市の場合は体育館で事業が開催されたこともあり、椅子800席を並べる作業も発生したそうだ(体育館ゆえに手薄な音響や空調にも対応を練っておられたし、事業運営費の不足を補う上で実施された会場入り口での『浄財』の勧誘などもあった)。こうした細かな作業の打ち合わせを幾たびも重ねることが意思疎通と士気高揚の機会ともなったことだろう。

飯塚コスモスコモンなる建造物は近年の竣工なのか、音響、空調ともに充分に整っている。嘉麻での余勢を駆り乗り込む上では格好の段取りだ。
林田理事長は今回も壇上に上がってコーディネータの補佐をされるはずだが、開会10分前になっても会場内の各所を廻り、細部へ指示を繰り返しておられる。嘉麻開催時も開会直前の会場内においでだった。昨年から企画を練り込み、事前に頭に入っているシミュレーションを現場の実像にあわせ補正しようとも思っておいでなのだろう。この機会を利用して求める成果を最大限まで引き上げようとのお考えだ。
来場者の中に見覚えある壮年の顔を幾つも拝見した、多分LOMのOBだと思う。先輩達はこうした取り組みをどう感じておられるのか、ちょっと聞いてみたい。

嘉麻同様、飯塚での討論会もプロジェクターで壇上に映す様々なデータを、今論じ合っているテーマを来場者に確認させる手法として活用している(この画像も実行委員会が作り上げたものらしい)。パネラー同士が不必要な衝突を避けながら、共通のテーマに沿って話をともに進めるにはよい手法だと思う。来場者も思考を冷静に整理する上では効果的だ。実際、今回の壇上の各位の答弁はコーディネータの質問に充分に対応したもので、来場者が理解しやすいものが多かった。どなたがトップリーダーになられても(少なくとも弁士としては)間違いないと思う。

昨年からローカル・マニフェスト(その内容や討論会事業)を度々拝見する中で、回を重ねるごとに諸々の質が上がってきているように感じる。地方自治体とは云いながら要は戦略組織であるまちの計画書を作成できない人物が立候補表明すべきではないことはずっと変わっていないとしても、この計画書を出資者(にしてオーナー、株主)である市民に分かりやすく説明することを心掛ける表明者が増え始めているのではなかろうか?
私たちもローカル・マニフェストさえ書けばそれでいい、なんていう基準で表明者を既に見てはいない。

当委員会は討論会事業を『表明者の資質を高める』、『有権者の資質を高める』、何より『主催者の人間としての資質を高める』事業と捉えている。

今回は立候補表明者3名が全て登壇するという形で事業が開催できた。地方首長選挙立候補表明者にありがちな、どこでも聞ける答弁もあった中で、関心を惹くものが幾つかあった。
  先ず合併特例債の取り扱い。使途を明確に決めている者、再協議を求める者、使わないとする者、と三様であったこと。さらに、今後の合併の問題。他所の多くの首長選討論会では『先ず新市の基礎固めを優先すべきであって、先のことは今論じるべきではない』というのが判を押したような答弁であるけれど、今回の3人は時期や段取りの違いはあっても皆『さらなる積極再編』を唱えてあった(嘉飯山地区を越えての合併に言及したパネラーもいた)。

告示日まであと2日を残す形で開催された討論会だった。来場有権者にしてみれば、やはり有益な機会になったと思う。識者であるところの壇上の3人が同音で唱える持論に接すれば、まちが迎えつつある抗い難い大きなうねりを知ることになったろうし、3人が互いに異なる持論に接すれば、そのうねりを受け止めねばならない子や孫の行く末を案じた最善・次善の政権選択を一票に託すはずだから。こうした有意義な時間をトップリーダーたろうとする方々は是非活用してもらいたいし、公職選挙法をはじめ、活動を妨げるあらゆるものは『責任ある国民主権型社会希求』という理想に従属し、変質してもらいたい。

前回の嘉麻市討論会の閉会時同様、委員長が挨拶をして締めた。一部の『へんちくりん』(これには私も含まれるのだろうか?)に占有されがちな政治の話を日常の風景に溶け込ませ、まちづくりに引き戻す上では格好の設営だった。
壇上、委員長はおっしゃった、『選挙のためではありません、まちづくりのために』。
右に倒れたり、左にズレたり。でも真ん中に還って来られたのだった(白石副委員長も委員会の皆さんも、ずっと唱え続けた言葉だったのかな)。

本年も事業開催を断念したLOMが既にある。『どちらの陣営に属するのか』程度の事前選挙行為だとしか思われなかったり、本来の事業対象者である一般有権者に対しての事業企画の告知すら後手後手に終わったり、選挙事務所の幕僚に向かって語気を荒げてしまったり、『やりたいんだか、やりたくないんだか』分からない性的不能にしか見えなくなった上座に向かって声を荒げたり、何より事態を収拾できない自分の段取りの悪さが一番いらだたしいかったり。黙して語らないLOMの実情は推測するしかないけれど、これらの何れか、或いはこれらの全てだと思う。
仕事を振られた故に嫌な思いをさせられた、と思えば『させられた』だけのことになってしまう。『被害者』と割り切れば気持ちの整理もつきやすい。

『たしかにあなた方は、人生にもう何も期待できない、と思っているかもしれません。人生の最後の日がいつ訪れるかもしれないのですから、無理もない話です。ナチスの手でガス室に送られるくらいなら、みずからの手でいのちを絶つほうがまだマシだ。そんな風に思われたとしても、少しも不思議ではありません。
けれどその一方で、人生のほうはまだ、あなた方に対する期待を捨ててはいないはずです。“あなたを必要とする何か”がどこかにあり、“あなたを必要としている誰か”がどこかにいるはずです。そしてその“何か”や“誰か”は、あなたに発見されるのを待っているのです』。
ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』は帰郷の荷に押し込んで捨てきれずに持ち帰り、旧友となった。折にふれて読み返すとき、この一説のなかの『人生』という述語を、時に別の述語に置き換えて読んでしまっている自分に気付く。