サマーコンファレンス2006年

7月 21日金曜日

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21日(金)

 『日本 JC の事業はサマコンだ』、という先輩は多い。各自振り当てられた任地で責任ある局地戦を展開はするが、確かに『ニイタカヤマは横浜にある』と思うのも日本への出向メンバーではなかろうか。

岩国の討論会に足を運んだときは、その日が理事会へのサマコンの議案上程日であったそうだ。その日助手席に同乗していただいた伊達副委員長(サマコンセミナー、普及運動担当)は、東京ならぬ岩国へ傍聴に出向く中でも、随分と気をもんでおられたのを思い出す。

  遠足でもなかろうが、3時には目が覚めてしまった(上戸彩を見たさに?5時からオープニングフォーラムの会場入り口に並んだという JAYCEE には失笑したが、私も似たようなものか?)。5時半には家を出、藤島さんの配慮で入手できた格安のチケットで7時20分に福岡を発つ。

次年度から考えれば任期の三分の二が終わろうとしている。

 羽田からから高速バスで横浜、そして桜木町。委員会開催場所パシフィコの会議センター『419』へ10時30分。案の定、誰もいない。2階に戻りホットドックで食べながら、以降のスケジュールを確認する。

 11時、隣接するインターコンチに宿泊する成田総括幹事に会い、『419』の委員会室設営を始める。一番乗りのお礼に?ブルーリボンのピンバッチを頂いた(大ホールでは500円で販売されていた)。

 12時30分開催の委員会は委員長不在で始まる。相澤委員長は理事会やら人間力大賞の審査やらで、とにかく捉まらない。よって、副委員長3人が仕切る形で委員会は始まった。

 私たち伊達小隊はサマコン担当委員会で、先月6月の鹿児島開催の委員会でほぼ詰めており、また、東京に過半が集中する小隊の皆がその後一ヶ月、資料を練りこんで本日を迎えている。

 会場の確認へ『304』に向かう。東京 JC の例会を担当する理事で、これを毎回仕切っていると聞く伊達小隊・昼間さんがこのセミナーの、進行に関わる細部のディレクション(会場内の照度、音量、会場内の導線などなど)を担当する。東京 JAYCEE は彼に対してこの手の運営に全幅の信頼を置いていると聞く(実際、その信頼の確かさは翌日証明されることになる)。

 メインフォーラム終了予定の15分後に開催される当委員会のセミナーは、幸いなことに定員230名の収容能力を超える登録を頂いてしまったから、セミナーの内容同様にその段取りもまた配慮したいと思っている。当セミナー終了後は同会場で15分に『国家安全保障問題委員会』がセミナーをやることになっている。よって終了時間はずらせない(翌日の混乱を切り抜けた昼間さん、あなたは偉い)。

 『419』へもどる。プロジェクターの画像やら、シナリオやらの確認が終わり、16時に委員長がやってきた。華のある人物だと、いつも思う。日本には多くの委員会があるけれど、これほど活況な委員会はなかろう、と皆は言う。スタッフも、フロアも、逸材が多い。末席とは云えここに名を連ねる者としての責任は以降発生することだろう。

 以下、委員長挨拶。

相澤『7月です。一年の折り返しになります。各地の委員の皆さんには各地ブロック協議会まわりに御尽力いただいております。今回のサマーカンファレンスのために多くのメンバーが眠る時間や食べる時間までも割いて御準備を頂きました。その成果が試されようとしていると私は思っています。

今日、皆様のお手元にある、たとえばこの資料ですが、この資料は多くのメンバーが、本当に命をささげ、減らして作っていただいたものです。では、これを誰に渡すのでしょうか。これは明日のセミナーに集まって頂く、各地青年会議所の皆さんに渡すものです。言い換えればこれは JAYCEE のための JC 運動のように見えるかもしれません。

しかし、渡された各地青年会議所のメンバーがこれを元に、自分の地域へ帰って市民とともに行う運動のために使われることを祈るのです。ですから、私たちは青年会議所の会議のために、諸手続きのために苦労していますけれども、明日披露されるこれら様々な完成物は、皆さんの思いに叶い、終着点である市民の皆さんに伝わっていくだろうと私は思っています。

今日の会頭の挨拶などもお知らせしていかなくてはなりません。御承知のとおり、既に先々週わが国の領土の上をテポドンが飛んでいこうとしました。ひょっとすると青森県の上空を飛んでいこうとしたであろうと。

仮に発射実験であったとしても、空中で破壊や爆発が起これば日本をはじめとする他国にその破片が落下することも考えた上での演習でなければならないでしょう。こうしたことが実際に行われてしまったことから考えても、北朝鮮の政府が如何なる立場に立っているのかということが容易に想像することが出来ます。今回の事件は、日米の安全保障条約などをはじめとする東アジア情勢やこの国の方向性を考えるよい機会としてとらえることも出来ましょう。

しかし、これを北朝鮮という国家が行ったとしても、日本に在住する在日朝鮮人に対しての迫害はあってはならない。政府の決定として行われたことであり、この国に住まう何の罪もない在日朝鮮人に対する迫害がないように、私たちは注意していきましょう。あくまでも政府決定であって個人の罪ではありません、と会頭はおっしゃっていました。

「一寸の領土を侵されてこれを黙っている国民は全ての領土を侵されても黙っているであろう」。国家主権に関わる問題だけではありません、地域の問題も然りです。当委員会が扱っている問題は、国家の指針の選択の機会というよりも、地域の未来の選択について問おうとしている運動です。自分達が生きている地域社会の問題というのは、ゴミ袋の料金の問題であったり福祉の問題であったりと、安全保障の問題よりもこうした問題であることが多いわけです。

しかし、仮に多少小さな問題と思えても、地域の問題をないがしろにする、「一寸の領土」をないがしろにする選択をする国民というのは、最終的には国の選択も危うくするのです。だからこそ地域レベルの問題から「選ぶ」という行為を始めていかなくてはならない。その国民・市民の「選択」という行為に対して、各地青年会議所の皆さんはあらゆる機会を提供しようとしてきました。

「選べる」国に生きているということが国民主権に基づいた真の自立国家である証しではないのでしょうか。

6月の末の訪中ミッションに参加いたしました。抗日運動記念の施設にも足を運びまして、こうしたことがマスコミにも取り上げられ、様々批判も受けています。会頭が献花した趣旨についてはすでに日本青年会議所のホームページに掲載されているとおりです。日中どちらの国にしても何の罪もない市井の方々が戦禍に巻き込まれてしまったことは事実であり、これに対して、未来に生きている我々が献花をしたということでありました。

6月は鹿児島で委員会を開催したこともあり、知覧の特攻隊記念館にも足を伸ばしました。訪中ミッションから間なしの知覧でしたので、精神的にも疲れるものがありましたが、そこでそれぞれの皆さんが感じるものがあったかと思います。国の礎たろうとする者たちの思いに満ち溢れた場所でありました。来場者の皆さんを見ていますと、誰に指図されて来るわけでなく、自由意志に基づいて記念館に来ていらっしゃる方がやはり多かったのではないでしょうか。

展示品の一つひとつには、自分の命を犠牲にしてでもこの国の将来、地域の行く末を一生懸命に考えていた思いが溢れていました。それに対して、現代を生きる我々が成すべきことは当然決まってくると思います。その大切な大切なわが国のあり方というものを、育むように、愛しむように、全国もメンバーに対して皆さんの口からお伝えいただきたいと思います。

最も豊かな状態というのはどんな状態のことを云うのでしょうか。簡単なことです、それは「選ぶ」ことが出来る、ということです。その状態にあってこれを使わない我々は贅沢病だったのです。そうした自戒の念も持って明日のセミナーに臨んで頂きたいのです。』

幹事の本村さんの手配で 桜木町、ブリーズベイホテルにチェックインする。杉村小隊長や宮地さんら穂の国 JC 組もここらしい。大会会場まで歩いていけるのはありがたい。男の一人旅にでかいカバンは見苦しい、と思っている私のカバンの中の荷物は必然無理やりに押し込まれてシワも出来やすい。入室するとすぐにハンガーに掛けてシワの有無を確認しておかないと明日は外出できなくなる。パンツのプレスが出来るかどうか分からないホテルでは「ツーパンツ」はありがたい。購入当初無駄のような選択だったが、同じデザインのパンツを2本購入したのが初めて役に立った。

そろそろ懇親会開会の時間だ、ざっと汗を流す。

横浜中華街、中華料理店。聞けば横浜 JC の関係者が経営する店らしい。サマコンに参加する60人ほどの委員会メンバーはたくさんの円卓に分かれ、既に活況だった。入り口正面に空いていた伊達小委員長の隣にお邪魔する。やはり、局地的に1万人も酔っ払いが増えると、酌婦の質は極度に下がるのか、話をしたいという気がまるで湧いてこない。相澤委員長は他の役員達との協議を続けておられるそうで、同席されなかった。

京都会議での委員会同様、入れ替わり立ち替わり、各 LOM の理事長や専務が挨拶に見えて、座興を半分混ぜながら各地の取り組みについてマイクで話をされる。地元に戻れば、どれくらいだらしない理事長達かは知らない。が、語られるその話から、出向メンバーの土産話がその出身 LOM でも事業に反映されるなり、周知されるなりしているであろうことが、透かし見える。共通の言語を持つ同志が全国に点在するのはうれしいし、ここがそのハブ機能を果たせるとしたら、少々の金は惜しくない。酒を飲みに京都やら横浜やら郡山へ出向くのは、誰のためにもならない。

臨席の伊達さんが好まないという紹興酒を手酌で飲みながら、なかなか増えないエントリーについて伊達さんと話をした。

LOM 主権を標榜する日本の各地青年会議所は独自の政策をもって運営されている、と聞く。私の所属する甘木朝倉もまた、37年かけてスポンサーの久留米 JC とは細部にわたって随分と違っていることを、先日うかがった久留米 JC の例会で確認した(入会して12年も経つのに「明日のために」を歌ったのは久留米の例会においてが初めてだった。また、昨年、舵を切りすぎてこれまでの LOM の歴史に反し地域の他の NPO とのかかわりを疎遠にしたのが担当の私だったが、久留米は NPO ネットワークを通してのまちづくりを基幹とし、これを成功させてもいる)。金子みすずの詩ではないが『みんな違って みんないい』ということか。

『 JC のブランディング』というと随分とスマートに聞こえるけれど、要は泳いでいる魚を、自分で捕まえるのか、あるいは他の誰かが捕まえてもらうのを待つのか、ということだろう。他とは違うことは『差別化』であり、アイデンティティーの源泉だ。『積極的な変化を自らの手で創り出すこと』をもって JCI はその根源的なミッションとするとも聞く。

LOM 主権をもって今回のエントリーの状況を考えれば『みんな違って みんないい』ことの結果だろうか。だから、要は各 LOM が説明責任を果たせればいいのではないか。5年後、10年後、入会してくるメンバーからの質問、『どうして06年度の LOM の理事は時に臨んで、この選択をしたのですか』に対して、『それはなあ』と説明責任を果たせればいいのではないか。行為の中に『主体的である』・『敢えて』という哲学が溢れていればよいのではないか。対内外に様々な副産物を生じせしめる事業であり、 LOM 成長の好機であるから無論エントリーして欲しいけれど、『敢えて』しないのであれば、それはそれで正しい選択だ、と個人としては思っている。

不可解なのは『隣がやるからやる』と『嵐が過ぎるまで頬かむりする』という自称地域の責任世代の判断だけだと思っている。すでに、政治抜きではまちづくりは不可能になっている。絶望的に減衰する地域力を下支えするのは市民協働をはじめとする、自覚ある主権者の責任ある行動しかない。豊かである、ということは、自分が主人公である、と言い換えてもいい。実感ある生を謳歌できることと言い換えてもいい。利他と自発の中庸の精神溢れる地域、国家の建設は、日本でこそ可能であり、これを可能にするのが一部のテクノクラートや富裕層であってよかろうはずがない。私たちは、ちっとも優れてはいない。『敢えて』住まう地域で納得して生きていきたいだけの『民草』そのものだ。

伊達さんはどう考えているのか、協働運動普及担当だから無論、数は欲しいに違いない。でもこれをただのイベントにはしたくはないはずだ。当委員会が06年度の責任を全うしてないから数が増えないのだ、という指摘に対して、幾ばくかの答えと覚悟を明日全国に向けて発信しようとしている、その担当主任は他ならぬ彼だ。彼もまた、火中の栗を拾おうとしている。委員会の皆が、そして4万会員が『敢えて』ついていくに足る心優しい御仁の一人だ。

後ろ髪を引かれたけれど、今日は一次会しか参加出来ない。この中華街のどこかに、明日の夕刻には福岡に帰るという LOM の直前と次年度が待っている。

今夜は JC の話をしよう。