愛知県知事選公開討論会 〜出向の終わりと始まりに替えて〜
2006・12・23             

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  『のぞみ』を待つ博多駅ホームのキオスク。こういうところに並んである本は数に限りがあるから選択肢は乏しい。一般の書店では吟味して自分の好みに合うもの・探しているものを抜き出すことは出来るけれど、キオスクではこれは望めない。官能小説だの占いの本だのが幅を利かす書棚では選択肢はますます少なくなる。こういうところでは日頃手にとらない本が嫌でも目に入る。キオスクでは日頃とは違うが故に、結果として後々印象に残る本との出会いがままある。 目に留まった『栗林忠道』と背表紙にある文庫本を買い求める(柘植久慶氏著)。
 
 イーストウッド氏がメガホンを執り、その映画で渡辺謙氏が演じていると聞く硫黄島を守備した兵団長の、任地への赴任から話が始まっている。彼は米国への駐在の経験もある、陸軍では少数派の親米・米国通でもあったそうだ。大本営はこうした『けむたい』欧米通の将校を『捨石』となるべき任地に多数送り込んでいた、とこの本には書いてある(史実かどうか?)。志願兵で構成される、士気も装備も高水準のアメリカ海兵隊との守備隊の一ヵ月半の応戦の記録は60年前の日本人の記録でもある。彼は守備隊隊員への戦陣訓として(この本には)『一人十殺』を唱える。
 
 『一人一殺』は精神論として理解できるけれど、『一人十殺』はそれとは別次元の話だろう。巧緻な合理的用兵論に基づくしかないのではないか(素人なりに勝手に推察する)。『捨石』として大本営から遠く隔絶した状況だからこそ初めて発動できた、つまり所属する組織の狭隘な思考癖ではなく所属する組織の理念実現に向けて最適格化された徹底した合理で独自に展開できた、戦史上稀有な用兵だったのか知らん、と読後(素人なりに勝手に)思った。海兵隊上陸後たった3日間の米海兵隊員の犠牲・死傷者数5000余はガダルカナルでの半年の上陸作戦で死傷した海兵隊員の犠牲者数に伍するのだ、と。 ロス五輪ゴールドメダリストであった西男爵が戦死したのが硫黄島であることもこの本で始めて知った。欧米を愛した『モダンボーイ』西男爵が酒よりウイスキーを好んで飲んだという短い記述に深い感銘を覚えた。

  制海権無し・制空権無し・補給無し。硫黄島の日本兵は丸裸の状態で一ヵ月半、米海兵隊に2万数千の犠牲を強いる。JCは丸裸になったら何時間JCでいられるのかな。

  JCにはイズムもイディオムもあるという。『JCのスケールメリット』という言葉を聞くことが今でもある。でも、これを語るのは唯一JAYCEE氏その人であって、他の余人から『JCのスケールメリット』という言葉を聞くことは、まずない。JAYCEE氏が事業説明の際、『私たちのスケールメリットをもって』と語る時、臼淵巌氏の『・・・私的な潔癖や徳義にこだわって・・・(吉田満氏著「戦艦大和の最後」)』の一節が不思議と頭に湧いてくる。『で、それは目的追求に合理的な手法なのかな?』とも。
 
 学部生の頃読んだ脳神経学者の自嘲は興味深かった、『人間の脳神経の深遠を探るのに、私はその人間の脳神経である私の頭を酷使するしかない。人類の頭を人類の頭で推し量る、一体全体これが可能だと思いますか?』。JCは常に外部に露出することで、外気に曝露されることで、原点に回帰できる。日本の青年会議所が社会変革(社会復興)のために発足してしまった(と聞くわけだ)から当然といえば当然ではあるけれども。戦後、東京の若者が出会った『JC』という理念は、たまたま当時の若者の理念に合致していたに過ぎない。『積極的な変化』、唯一これがJAYCEEの血。緩慢な現状を、受け入れるにしろ、変えるにしろ、一旦これを留める努力をしなくてはならない。外部からの評価まで含めた、入念な相対化だけが組織の自己認識・純化につながる。

  名古屋駅近くに宿を確保し、タクシーで会場の 名古屋市 公会堂へ、18時現着。脇には『連合』のノボリも数本見受けられる。自公が現職の表明者支持、民主が新人の表明者支持、という二人のパネラーが登壇する討論会。入り口受付でパネラー二人のそれぞれのマニフェスト冊子を渡される。委員会メンバーの宮地さん(愛知ブロック・穂の国JC)が迎えてくれる。案内されるまま確保していただいていた席、中央、前から3列目へ。2列目に杉村副委員長(愛知ブロック・穂の国JC)が既に着席している。宮地さんは次年度も国民主権確立運動に関わると聞く。周囲に関係者も多いこの席あたりを中心に、次年度に向けての愛知ブロック内の情報交換がしばし進む。
 
  これから始まる討論会は、愛知ブロックが『協力』を、リンカーンフォーラムと推進ネットワークの各支部、さらに教育関連のNPOの三者が『主催』。昨年の日本の副委員長・木村さん(名古屋JC)も関わっているらしい。翌日聞いた話では、他に、共産が支持する人物も選挙戦にすでに立候補表明、と。どのような経緯で革新の表明者はこの討論会に参加しなかったのか?開催主催者なりの状況判断があった、という。

  コーディネーターは三重大学に籍を置くリンカーンフォーラムの関係者と紹介される。2000人入るらしい会場に6〜7割ほどの入り?かな。

  手元の立派な2冊の冊子はこの討論会用に作成されているわけではなかった。だから、両パネラーの持論がマニフェストのどの項目に則って発せられているのか、私は確認のためにページをめくるのに少し手間取る。新人が20ページほどの、現職が30ページほどの双方のマニフェストは、よって活字が大きく読みやすいけれど、会の進行に合わせて双方の記載内容を対比していかなくてはならないなら、2・3時間の討論会用の資料としては使いづらい感もある。

  愛知県民は二人のこれまでの実績を承知しているだろうから資料でいちいち確認しないでもよいのかもしれない。有権者ではない私は二人のことをよく知らない(新人表明者は昨年のサマコンにパネラーとして登壇していたから、新人の話だけはかつて一度聞いたことがある程度)から、『このマニフェスト冊子は二人の話を聞いて討論会後に読んだ方がよいかな』と判断して、壇上に意識を向ける。

  討論会の出来不出来、表明者の論旨の美しさに対しては、私は当地の有権者ではないからか、次第に関心を失っている。この日、この時、この場に足を運んだ人々がこの討論会を自分の権利行使(次世代への説明責任)の重要な判断材料にして欲しいと願うだけだ。テレビカメラも6台までは確認した。開会にあたって、『邪魔にならない限り、写真も録音も自由に』と主催者が促してくれる。こうした配慮はきっと、投票日までの、また今後の4年間への波及効果を生むことだろう。

  討論会自体のイベントとしての構成や進行は、シンクタンクなりジャーナリストなりディベートの専門家なりに任せても構わないと個人的には思う。JCは討論会屋ではないのだから。各地会員会議所やJAYCEE個人は地域に活動拠点を置いている。教育・福祉・環境・治安・コミュニティー・都市計画問題、地域には崩壊が迫っている。泣きたくなるほど減衰していく地域力の再生は如何にすれば図ることが出来るのか。今この地域に残されている資源は何か。あるとしたらそれをどう活用すべきか。

  全国の地域が例外なく有する、私の住まう朝倉市ですら有する、地域の最終的な資源は『市民・住民』だ。有権者と言い換えてもよい。私まで含めたこれら市民の次世代に対する説明責任を喚起できるか否か。住まうまちの浮沈・興廃は私たち市民の当事者としての覚悟の深浅だけに依拠している。当事者意識を覚醒させた時代の責任世代の責任ある議論と行動を巻き起こすことが、地域に貼り付いた生活者としての私たちの使命と思う。
 
  資源が限りあるのなら、経営は選択と集中をもって為す。何を活かし、何を捨てるのか。私たちは理念を活かし、虚飾を捨てる。仮に地域が崩壊したとしても、後世から後ろゆび指されるような真似はしたくない。

  この討論会は問題なく終わったと思う。対立軸を掲げて展開される論戦を期待していた聴衆の目にはどのように映ったか。これに続き合同立会演説会もまた県内で企画されることだろう。公選法の制約を考えれば、公開討論会でしか出来ないことは公開討論会で、合同立会演説会でしか出来ないことは合同立会演説会で特化実践することで、双方の利点を際立たせ不足を補うのが理想と思う。短期間での複数の事業の開催となれば、理念を共にする他のNPOなどとの連携も積極的に検討すべきだ。のれんの古いJCが共催・後援・協力出来るのであれば、新興の他のNPOが主催であっても立候補表明者や候補者のこの事業に対する不信感を幾らか軽減することも出来るだろう。

  『ローカル』と唱えるなら、手法も無限に『ローカル』でよい。地域に、時代に最適格化した手法を模索する。時代の責任世代としてJAYCEEは、55年前に採った手法とは異なる手法でもって55年前に掲げた理念に回帰していく。

  離合集散、生々流転、一年が終わる。
 
  小松山山頂陣中、相澤委員長を中心に70人は騎乗する。札幌に正対する者、枚方に正対する者、朝倉に正対する者。互いに顔はもう見合さない、委員長の声を静かに待っている。

  『頃やよし、一期を飾れ』、いま駆け下る小松山。同僚の左右に聞こえた鬨の声は次第に背後に遠くなり、いつしか自分の荒い息遣いと駄馬のひづめにかき消されることだろう。もう会うこともないのだろう。理想と現実に挟まれて騎行を留める者も出るのだろう。

  でもそれでいいじゃないか、社交辞令の糞尿に鼻まで浸かって我が世の春を謳歌するよりも。『明るい豊かな社会を築き上げよう』というは私たちの意思表明であって、性能標示ではないのだから。『私たちJAYCEEは・・・明るい豊かな社会を築き上げることが出来る』とは一言も言ってない。私たちの護るべき財産は『積極的変化実現への絶え間ない意思表明』、つまり心意気だ。後世の視線を意識しながら、限界すら承知した上で、青臭い理念を実績もともなわぬまま臆面もなく唱え続けて奔る。

  06母衣衆・国民主権確立特別委員会、胸に念ずる一念は『勝ってよし負けて、尚よし』。