2005年9月5日〜11日 モンゴル エルディネットJC 訪問記録
Vol1 到着・エルディネットJC歓迎の巻 Vol2 鉱山見学・オリンピック村の夜 Vol3 モンゴルJC全国大会 Vol4 テレビ出演お別れの巻
この物語は、遡ること昨年11月に行われた2004年第59回JCI世界会議福岡大会におけるウェルカムパーティーから始まるのである。
2004年 当時の理事長であったイナバは世界各国から集まったJCメンバーに対し、甘木朝倉ブースを構え甘木名産の葛湯・葛餅を
先頭に立って振舞っていた。
そこに訪れたモンゴル エルディネットJCご一行・・・ 彼らは、日本との姉妹締結を目的に、九州各地青年会議所のブースを廻っていたのである。
葛を振舞うイナバに目を奪われるエルディネットJCメンバーのメンデさん「ここだ!」本能に近い目利きで猛然とイナバへ姉妹締結のアタックが始まる。
甘木朝倉はエルディネットと人口規模(約9万強)がほぼ同一で自然環境が豊かであり、何といってもブースの雰囲気が一番良かったそうな
何故イナバが目に付いたのかは現在でも謎が多い・・・ (単にイナバが好みだったのか?エキゾチックに見えたのか?)
モンゴル語の他にロシア語しか話せないメンデさん。他に若干の英語が話せるメンバーはいるものの日本語は全員全く話せない。しかし用意は周到であった。
たまたま九州大学に留学中のエルディネット出身のトヤさんをリサーチ 世界会議の為、訪日するなり早速トヤさんにコンタクト、
有無も言わさずエルディネットJCメンバーとして強制入会!
遠く離れた異国の地で会員拡大と日本語通訳の確保を同時に行うという、とんだ離れ業を成し遂げていたのである。
トヤさんの流暢な日本語通訳で、エルディネットのメンバーが姉妹締結をしたいとの申し出に、イナバは戸惑微塵も無い
西中洲に打ち合せの為の設営は電光石火であった。
この時、2005年度理事長予定者であったイマムラは何も知らずにJCI事務総長エジソンコダマのアテンド役として福岡市内を走り回っていたのであった。
間もなくイマムラはイナバから事の経緯を聞かされる。あれは相談ではなかった。決まったことを告げられた様なものだった。
イマムラはこの時こう思った・・・「本当にラスト理事長は何しでかすか分からん。卒業をいい事にとんだ置き土産をこしらえやがって」
実はイマムラは海外が大の苦手、37年の人生の中で海外は嫌々ながら新婚旅行のハワイ5日間だけ、それも新婚幸せ気分の勢いだけで行った様なものである。
ビートルで韓国行くなら ずぅ〜っと手前の志賀島のほうが充分楽しめる男である。
それに比べイナバは大の国際派、大学時代にはリュック一つでアジア、アフリカ、ヨーロッパを渡り歩くサバイバルトラベラー、現在も「一人になれるのは海外だけ」と
好んでプライベートで海外を楽しめる男である。
打ち合わせの約束の日となり、イマムラ一人がこの日初顔合わせ。「来年は理事長だし、どうしたもんかいな」等と考えながら西中洲のお店に向かい恐る恐る入店すると
イナバと6名のエルディネットJCメンバー
次年度理事長として最初の一言 威厳を見せねばとは考えていたが、モンゴル語はチンプンカンプン 世界会議期間中だが英語も片言以下、喋るのも照れる始末
結局「こんばんわぁ〜」・・・だったと思う。それも少し力が抜けたような。もう負けている。もう言われるがままだ。相手は大陸を制覇した誇り高きモンゴル民族だ。
ヤバイことに国際派サバイバルトラベラーのイナバもすっかり溶け込んでいる。
きっとこの話しは確実に前向きに進んで行く。
直感だった。
肌で感じた。
「うゎ〜 カ・イ・ガ・イ は ダメなんだってばぁ〜」
イマムラの心は叫んでいた。
しかし、九州が一体となり長い準備期間と九州JCの絆を育みながら開催に至ったJCI世界会議福岡大会に参加下さった大切な大切なJC仲間である。同士なのである。
110 の国家青年会議所 全世界6千に及ぶ会員会議所の中の 甘木・朝倉とエルディネット 20万人に及ぶメンバーの中のイナバとメンデの出合い 世界会議有難う!である。
この関係が更なる甘木朝倉の発展に繋がるかもしれない。いや、そうでなければならないのである。
皆で日本食を楽しみながらお互いのLOM活動や国や地域のことについてトヤさんの通訳を介しながら色々な話をする事ができた。とても有意義なひと時となった。
最後に、「来年、是非エルディネットに来てください。我々の国を見に来てください。」全てはここから始まるのである。
イマムラも腹をくくった。
Vol1 到着・エルディネットJC歓迎の巻 Vol2 鉱山見学・オリンピック村の夜 Vol3 モンゴルJC全国大会 Vol4 テレビ出演お別れの巻
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